Column コラム

芝居の業界用語あれこれ【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第18回】

青山学院大学文学部比較芸術学科教授

佐久間 康夫

芝居の世界には、舞台の関係者が仲間内で用いる独特な言葉遣い、一種の業界用語があります。今回は、そのような言葉のおもしろい例をご紹介しましょう。中には私たちの日常会話で普通に使われるようになったものも含まれています。

 

「ダメ出し」

稽古場で演出家が役者に向かって、演技の改善点を指摘することです。より正確には、演技に限る話ではなく、台本、衣装、道具、音響などなど、あらゆる芝居の現場で耳にする一般的な用語です。

ダメは囲碁の「駄目」に由来するそうです。駄目とは白と黒双方の境界にあって、どちらの陣地にもならない、つまり無駄になってしまう地点のことです。それが演劇の世界に転用されるようになったのです。最近は私たちの日常会話でもよく耳にしますが、単に欠点や弱点を批判するという意味で、否定的に用いられることが多い印象を受けます。

しかし、芝居のダメ出しという言葉には、ただネガティブに拒絶するのではなく、より良い芝居にしよう、ここはこう直してほしい、という前向きな気持ちが込められている点を忘れてはいけません。ちなみに英語の演劇用語では直接ダメ出しに当たる表現は見かけません。強いていえば、演出家が改善してほしい個所をヒントとして表明する“notes”(ノーツ)が近いでしょうか。

ノーフォーク州の都市キングズ・リンにある聖ジョージ・ギルドホール劇場。
15世紀に建てられたイギリスに現存する最古の劇場

 

 

シェイクスピアの一座が巡演した劇場として、唯一その姿を残しています。
今日までこの舞台でどれだけ多くの稽古が行われたことでしょう?!

 

「幕を下ろす」と「幕を引く」

メディアでも、ある局面を終わらせるという文脈で、「幕を下ろす」や「幕を引く」という表現が使用されます。下ろそうと引こうと、意味は同じですが、「下ろす」と「引く」の違いは、いったいどこから来ているのでしょうか。これは西洋か日本か、どちらの劇場の舞台を念頭に置くかによります。

劇場の幕を歴史的に見ますと、西洋では、近代劇の時代になって、舞台前面にプロセニアムと称する枠が設けられ、いわゆる額縁舞台が生まれました。それと同時に、舞台と客席を隔てる幕も設置されました。

日本では、江戸時代の初期、寛文4年(1664年)に歌舞伎で初めて幕が用いられたそうです。注目すべきは、西洋の舞台は上下に開閉する緞帳(どんちょう)で、日本の歌舞伎では横方向に開け閉めされる引幕であったことです。

歌舞伎の黒・柿・萌葱色からなる定式幕(画像提供:(株)歌舞伎座)

 

芝居の始まりのことは幕開き、休憩時間は幕間(まくあい)、終わる場面は幕切れといいますね。これらの表現も、人生をドラマに例えて「人生の幕切れ」といった風に、比喩的に用いられることがあります。

さて実際の劇場には、透きとおって見える紗幕(しゃまく)、一気に切って落とす浅黄幕(あさぎまく)、舞台上に残された死体などを隠すための消し幕、暗転に用いる暗転幕など、思いのほかたくさんの種類の幕が備えられています。今度観劇の際には幕がどのような役割を果たしているか、注意してご覧くださると楽しみも倍加するかと思います。

 

「レフト」と「ライト」、「アップ」と「ダウン」

日本の劇場では、観客席から見て舞台の右側を上手、逆に左側を下手と呼びます。西洋では反対に、舞台にいる役者の立ち位置から見た時の左右を指します。そのためレフトとは日本でいう上手、ライトは下手となります。西洋の台本の左右に関するト書きは、日本語の感覚からすると、真逆の語感といえます。とはいえ、台本によっては「客席から見てレフト」などと、混乱を招く注意書きが印刷されている例もあって、ちょっと油断がなりません。

ややこしいついでに、舞台上の位置を表す英語の用法について、もう一つ。アップステージとダウンステージの違いがお分かりになるでしょうか。観客席から遠い、舞台奥の位置はアップステージ。逆に、客席に近い舞台端、つまり手前の位置がダウンステージです。

ミュージカルなどを上演する規模の大きな劇場では、舞台奥を高くして、客席から向かい傾斜を付けた形式が多く、日本ではこれを見た目のイメージから八百屋舞台と呼んでいます。もちろん離れた客席からでも舞台上の動きがよく見えるように計らった設えです。バレエダンサーが奥から手前にジャンプすると、観客からは高く飛んでいるように見えるという効果があります。

四季芸術センターの稽古場より。本番の公演が行われる劇場と同じ傾斜で稽古ができるように、
舞台の角度が調節可能になっています(画像提供:劇団四季)

 

 

「機械仕掛けの神」

芝居の大詰めにいたって、紛糾したプロットを都合よく解決するために現れる人物や出来事のことを指します。元は古代ギリシャの演劇で窮状を打開するために、舞台上に機械仕掛けで降りてくるよう、宙づりにされていた神々の役を示す用語でした。

古代ギリシャのディオニュソス劇場。紀元前325年に建設され、1万7千人ほどを収容できたといいます

 

どんなにおもしろい芝居であっても、もつれた筋を延々と上演し続けるわけにはいきません。どこか適当なあたりで、上演は終わらせなくてはならないのです。そのためのご都合主義の便法が必要になります。

分かりやすい例をあげましょう。時代劇の『水戸黄門』では、番組の最後になると決まって黄門さまのご印籠が出されます。「え~い、この紋所が目に入らぬか」という一連の決め台詞とともに、悪人たちがひれ伏すというおなじみの名場面。絶体絶命の窮地であっても、印籠のご威光で目の前にいる老人が天下の副将軍であることが発覚して、物語にも決着がつけられます。これは機械仕掛けの神が効力を発揮した格好の場です。

 

縁起をかつぐ演劇人たち

演劇界に縁起をかつぐ人が多いのは、洋の東西を問わないようです。欧米の劇場で、上演の始まる直前に役者たちが“Break a leg!”(足を骨折しますように)と挨拶するそうです。何とも穏やかではありませんが、これがなんと幸運を祈るという意味なのです。

なぜこんな言い回しをするのかというと、劇場の神様はあまのじゃくだという迷信が背景にあるからです。つむじ曲がりの神様に安易に成功を祈ろうものなら、かえって不幸な事態を起こされかねません。なにしろ相手が相手なので、あえて災いが起きますようにと祈っておけば、逆に幸運を呼び込んでくれるだろうと期待するまじないの文句だったのです。

こうした迷信の中には、「楽屋や控室で口笛を吹いてはいけない」という戒めもあります。万一吹いてしまった場合には、3回グルっとまわって部屋を退出し、1分後に3回ノックしてから再入室しなくてはならないそうです。ただし、この対処法には諸説あります(笑)!

他にも有名なところでは、シェイクスピアの悲劇『マクベス』のタイトルやせりふを口にすることが不吉とされています。初演時にレディ・マクベスの役を演じた少年俳優が死亡して以来、この芝居の上演は悪運に見舞われることが多かったという言い伝えによるものです。ですから『マクベス』について言及する折は、「あのスコットランドの芝居」などとあいまいに触れるだけにするそうです。

狂気に陥ったレディ・マクベスの像。
シェイクスピアの生誕地ストラットフォード・アポン・エイヴォンにあるガワー記念碑のうちの一体


 

[Photo:佐久間康夫(1・2・6枚目)、小畑遥香(5枚目)]

【次回へ続く】

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