フィンランド 〜1年間暮らして考えたこと〜 【第5回】
2024/03/15
2019年度のフィンランドでの在外研究から帰国して以後、教職課程の講義で必ず学生に見せるフィンランドの高校で撮影した授業風景の動画があります。1年間フィンランドで様々な授業を見た中で、最も印象に残っている授業の一つで、一見するとあまり特徴があるようには思えないのですが、フィンランドの授業や学びのあり方がよくあらわれています。30数秒の短いもので、私の講義では2〜3回視聴させたあとに、学生たちに気づいたことや気になったことを話してもらいます。
この授業は、私が滞在していたタンペレの中心部に近いところにある高校で撮影したものです。ベテランの女性教員が担当している生物の授業で、遺伝について扱っている回です。教員がホワイトボードを使いながら重要事項について説明をする、いわゆる「講義形式」の授業で、16人いる生徒からの発言は、この動画の中では全く見られません。
私の講義で学生たちがまず気づくことは、ノートパソコンを机の上に出している生徒が数名いるということです。実際、半数弱の生徒の机の上にノートパソコンがある様子が動画から見て取れます。残りの半数強の生徒は、ノートパソコンを出していません。つまり、講義を聞きながらパソコンを使っている生徒もいれば、パソコンを使わず(机の上に出しもせず)紙のノートを使っている生徒もいるのです。このように「統一されていない」ということに、私の教職課程の講義を受講している学生たちは戸惑います。
さらに、「なんだかあまり先生の話に集中していないように見える」と考える学生が出てくることも多いのですが、ここがとても面白いポイントです。教員が教室の前方で説明をしているのに、顔を上げて教員の方をしっかりと見ている生徒はごく少数です。教員がホワイトボードに重要なことを板書しても、それをしっかりと見て、パソコンであれ紙のノートであれ「写す」動作をしている生徒は3分の1程度しかいないのです。
では、生徒たちは何をしているのでしょうか。動画に写っている生徒のパソコン画面を注意深く見ると、ウェブサイトを閲覧している生徒がいたり、雑誌の論文と思われるPDFファイルを読んでいる生徒がいたり、自分で何かを打ち込んでいる生徒がいたりと、一人ひとり違うことをしています。パソコンに入力している生徒は、教員が板書したことを入力している(紙のノートの代わりにパソコンでノート取りをしている)生徒もいますが、紙の教科書も広げながらパソコンで自分のプロジェクトをまとめる作業をしている生徒もいます。
私の講義の受講生の多くは、「生徒たちは授業に集中しておらず、パソコンで内職をしている生徒が何人もいる」という印象をはじめは持つのですが、動画を繰り返し視聴し、私が少しずつ「この生徒はこういうことをしている」などの説明を加えていくと、「授業に集中していないのではなく、自分の学びに集中しているのだ」という印象に変わっていきます。
この授業を実際に観察していてとても印象に残ったのは、「それぞれの生徒がそれぞれ自分のやり方で学びに集中している」という様子だったのです。
授業終了後の休み時間に、この授業の担当教員に話をうかがいました。私が真っ先に尋ねたことは、「一人ひとりの生徒がバラバラのことをしていて、先生の方を向いて話に耳を傾けたり、先生が板書したことをノートに書き写したりする生徒はあまり多くないように思いましたが、そのような生徒の様子を先生はどのように思っていますか?」ということです。それに対して教員は、「もう慣れました」と返答しました。10年近く前までこの教員は、講義をしながら板書したことを生徒にきちんとノートに取らせるようにしていたそうです。しかし、授業というのは教員が生徒に知識を「伝える」「授ける」ことではなく、様々な材料をもとに生徒自身が知識を「作っていく」ことが学習だという考え方が重視されるにつれて、自身の考え方と授業のやり方を変えてきたのです。最初はそのようなスタイルに戸惑ったところもあるけれども、最近では慣れてきたと話してくれました。
この教員が述べていた中で最も印象的だった言葉が、「私は私の仕事をしている。学んだり試験を受けたりするのは生徒の仕事で、それは生徒がやること」です。ノートパソコンを広げている生徒が閲覧していたウェブサイトや論文などは、教員が参考資料として提示していたものもあれば、生徒自身が検索して見つけたものもあります。教員は、講義で話したり板書したりすることで情報を与えるだけでなく、それ以外に役立つと思われる資料も提供し、生徒が取り組むべき課題を与える、生徒とコミュニケーションをとり、生徒同士が一緒に考えたり議論をしたりする場を用意し支援するなど、生徒自身が学ぶための環境を用意して支援するのが「仕事」で、その環境で学ぶことは生徒自身がすべき「仕事」だというのです。
一見すると、教員が板書しながら講義をしているだけの授業、しかも生徒はまちまちなことをしていて集中していないようにも見える授業でしたが、その中に授業・学習におけるとても重要なことが込められていると感じる授業でした。
この高校の校長先生には、在外研究中に多数の授業を観察させていただいたので、それを通して考えたことなどをゆっくり話したいと思い、2023年4月下旬から5月初めにかけて北欧に出張した際に再度お会いしました。タンペレの中心地から車で15分ほどのところにあるご自宅に招いてくださり、昼食をご一緒しました。スモークしたサーモンを食べながらの楽しい会話の中にも、隣国ロシアのウクライナ侵攻に関わる話題がしばしば出てきました。一人ひとりを大事にし一人ひとりが責任感をもった市民となるための教育を行なっている背景に、ロシアの隣国であることが大きく影響していることを実感しながら、学校・教育のことから国際情勢のことまで様々なことを話し、とても充実した楽しい時間を過ごしました。
ご自宅は、古い家屋が建っている敷地を購入して、古い家を少しずつ修復しつつ、新たな家を建てて住んでいました。庭を歩くと湖のほとりに出ます。家の中にはピアノをはじめとして楽器がいくつも置いてあります。毎年ご夫婦で撮った写真をまとめて作っているアルバムを見せてくださいました。フィンランドでも高校の校長先生の仕事は重責かつ多忙ですが、幸福度世界1位というのも頷けるような、なんとも豊かな気持ちになるご夫婦とご自宅でした。
校長先生と昼食をご一緒した日の夜は、友人がサマー・コテージに招いてくれました。4月末とはいえ気温が0度を少し上回る程度の寒さで「サマー・コテージ」というのも奇妙かもしれませんが、この友人は真冬でもしばしばこのコテージで過ごしています。
この日の夕食は暖炉の火で焼いたソーセージがメインですが、ソーセージを挟んだり刺したりして火にかざす道具があるというのもフィンランドの面白いところです。
ソーセージに加えてスモーク・サーモンのスライスと、付け合わせに数種類のサラダを食べ、このコテージの近所で摘んだ数種類のハーブをウォッカに漬け込んだお酒や、フィンランドで近年人気が高まっているジン・トニック(フルーツを入れるのがフィンランド流)を飲みながら、ゆっくり過ごしました。窓から見える湖には時々白鳥が飛来していました。
この友人は、タンペレから30キロほどの小さな町でシェフ兼バーテンダーとして働いていたのですが、コロナ禍でその仕事を続けられなくなり、大きなトラックを運転するための免許を取得してトラック運転手をしているという女性です。金銭的には決して裕福ではありませんが、とても豊かな生活をしていると思える部分が多々あります。
一人ひとりが誇りを持ちながら豊かな生き方をしている様子に触れながら、「一人ひとりバラバラ」な高校での授業風景が思い浮かびました。