Column コラム

私の足のともしび 【第7回「地図記号の公募」】

青山学院大学地球社会共生学部教授

村上 広史

院長からの指示

国連から国土地理院に復職した時、私は同院の主要成果の1つである2万5千分1地形図(縮尺が2万5千分1の地図)を作成する部署の筆頭課長を任された。筆頭課長は部長の下で部全体の事業・予算・人事の実質的な責任を担う大番頭のような仕事である。そのため、様々な課題に直面した部内の課長からの相談役になることも多い。

 

そんな私のところに復職後まもなく、地形図に表記される地名や地図記号を担当する課長が浮かない表情で相談に来た。聞けば、院長から地図記号の公募をせよとの指示があったという。組織で仕事をすることが前提の行政機関では、機関の長が直接担当課長に指示をすることは珍しく、途中の部長などを介して担当部署に指示が伝わっていくのが通例である。それによって組織全体が課題を共有して知恵を出し合い、適切な対応ができるからである。

 

しかし、千人足らずの組織で、顔なじみの職員が多く、職員からの人望も厚かった当時の院長は、しばしば直接担当者に指示を出していた。また、その院長は、私に国連職員に応募することを勧めた上司でもあり、何度か彼の部下として働いた経験から、私も信頼していた上司の一人であった。その院長から指示を受けた担当課長の相談事は、何とか院長に地図記号の公募をあきらめてもらう方法はないかというものだった。

 

理由は2つで、1つ目は、地図記号はそもそも国土地理院が自ら定めるもので、専門家たる自分たちが長年培ってきた技術や経験を駆使して決めるべきものであるから、外部の人間に任せるべきものではないということだった。いわば自分たちのプライドを傷つけられたくないというわけである。2つ目は、公募という未経験の業務に取り組むことへの抵抗感であった。長年積み上げてきた経験があまり活かせない仕事に対しては、誰しも心理的に高いハードルを感じることになる。ましてや、どう進めて良いか自信がない仕事を課長として部下に指示するのは、容易なことではない。

 

いずれも課長の立場に立てば、ごもっともな言い分であり、院長に地図記号の公募をあきらめてもらうにはどうしたらよいかと相談に来る気持ちは十分理解できた。とは言え、ことは院長からの指示である。どうやったら実現できるかを考えるのも組織を支える部下の仕事ということになる。
そこで、そもそも院長が地図記号公募を指示した理由を聞いてみた。すると、紙に印刷された地形図の利用機会が減少傾向にある中で、その価値を再認識してもらうための啓発活動が必要ということであった。

 

21世紀に入ってデジタル地図の利用が拡大する中で、「地形図を読む」ことにより3次元の地形を理解する能力の低下を懸念して、学校教育での地形図活用の必要性を訴える地理学者も当時多かった。したがって院長の懸念はもっともだったし、地図記号を公募することで地形図に対する世間一般の関心を高めようという意図も理解できた。しかし、世の中の地形図利用の落ち込みと、専門家のプライドが傷つく未経験の仕事という2つのネガティブなことへの対処となるため、担当課長が尻込みする気持ちもよく分かった。

 

マイナス×マイナス=プラス

中でも専門家のプライドを傷つけるのは職員の士気にかかわるので、私としてもできれば回避したいことである。そこで思い至ったのは、プライドが傷つくのは公募先に外部の専門家がいた場合であって、素人だけが公募先であれば問題はないのではないかということである。そう考えて閃いたのが、小中学校の児童生徒だけを公募対象とするというアイデアであった。

 

相手は子どもたちなので、地図記号のデザインについては全くの素人である。子どもたちが出したアイデアを使いつつ、地図の専門家がそれを本来あるべき地図記号に相応しく整えることにすれば、職員たちの専門家としてのプライドは保たれる。また、学校教育での地形図利用が進まないというネガティブな問題に対しても、子どもたちに地図記号を公募することで地形図に興味を持ってもらうきっかけを提供できることなる。つまり、専門家のプライドが傷つくというマイナス面と、学校教育での地形図利用が進まないというマイナス面を掛け合わせてプラスにすることが期待できるのだ。しかも、地図記号をわざわざ公募することに対しても大義名分を与えることになる。

 

担当課長にそのアイデアを伝えると前向きな姿勢になってくれたことから、更に具体的に話を進めることにした。公募する地図記号としては、当初風力発電用の風車と平成の大合併で役場から支所や出張所などの扱いに変わった建物が候補となっていた。風力発電用の風車は、再生可能エネルギー活用の必要性から各地で建設が進められていたが、専用の地図記号がなかったことから、高い塔があるところに描かれる「高塔」という記号が使われていた。

 

しかし、地図に表示すると狭い範囲に高塔の記号が密集して表示されて分かりにくいため、風力発電所であることを地形図上に文字による記載(注記という)を行う必要があった。そのため、新たな地図記号の採用が地形図作成の現場でも望まれていたのだ。また、役場の建物が合併後に支所や出張所として存続していたことから、そのための地図記号を新たに作成したほうが良いだろうという意見が現場からも出ていた。

 

図1.風力発電の風車の地図記号が作成される前の風力発電施設が設置された地形図(下北半島尻屋付近)及び高塔の地図記号(「高塔」の記号が風車の位置に描かれている;出典:国土地理院2005年発行2.5万分1地形図「尻屋」及び国土地理院ホームページ)

 

風車と老人ホーム

こうして、地図記号公募の大枠を担当課長との間でまとめることができた。そこで、新たな地図記号の必要性や妥当性について、実際に地形図の修正などを担当する課長の考えも念のために確認しようと思い、帰り際に課長のところに立ち寄って立ち話をしてみた。そうすると、風力発電の風車の地図記号については必要性を理解してもらえたが、支所や出張所については否定的な答えが返ってきた。支所や出張所の位置づけがまだ流動的だったためだ。2つの記号を公募しようと意気込んでいた私は、出鼻をくじかれて少々気落ちした。

 

風力発電の風車だけを公募することも考えたが、1つだけでは少し寂しい気がした。そこで、気を取り直して、他に地図記号にしたい建物はないか聞いてみた。すると、少し考えたあとでその課長は「最近、老人ホームの数が増えていて、それぞれの建物に注記を表示する必要があって困っている」と答えたのだ。それを聞いた瞬間、私は漫画によく登場する電球のようなものが自分の頭に光るのを感じた。風力発電の風車と老人ホームの地図記号のデザインを小中学生に考えてもらうというアイデアに、我ながら「これはいける」と確信したのだ。

 

再生可能エネルギーを生み出す風力発電の風車は、化石燃料の使用抑制につながることから未来の地球環境を考えるうえで重要な役割を果たすことが期待されていた。一方、老人ホームは急増していて、少子高齢化が加速する社会を象徴する施設となっていた。したがって、これら2つの地図記号を小中学生に公募すれば、地球環境問題や社会問題となっている少子高齢化について、彼らに学んだり、考えたりする機会を与えるという教育効果が期待できるはずだ。

 

しかも、老人ホームの地図記号については、当時、幼稚園児たちが老人ホームを訪問する様子が時々ニュースで取り上げられていたので、自分たちの世代より子どもたちのほうが老人ホームの具体的なイメージを持っているはずだった。しかし、それがどんなイメージかは、全く想像できなかった。つまり、結果を予測するのが難しいという面白さがあったのだ。

 

図2.老人ホームの地図記号が作成される前に地形図(東京都清瀬市付近)に表記された老人ホーム(3か所の赤枠のところに老人ホームに注記がある;出典:国土地理院2006年発行2.5万分1地形図「所沢」)

 

当時片道30分余りの自転車通勤をしていたが、その日の帰り道ではペダルを踏みながらも地図記号公募のための新しいアイデアが頭の中にどんどん湧き出してきて止まらなかった。公募をどんな段取りで進めるか、小中学生に地図記号をデザインさせるにはどんな工夫が必要か、設置が必要になる外部委員会に相応しい有識者は誰か、などである。そして、新しいアイデアが浮かぶたびに、顔がにやにやしているのを自分でも感じていた。既に周りは暗くなっていたので、すれ違った人たちは誰も気づかなかっただろうが、日中だったら気持ち悪く思われたかもしれない。

 

公募の広報と外部委託

こうして地図記号公募の内容がまとまり、部長も含めて部内の合意が得られたので、次に広報に力を入れる必要があった。小中学生に対しては、感想文や絵画をはじめ、公募に基づく数多くのコンテストが行われていたため、その中に埋もれて応募数が増えなければ、公募した意味がなくなってしまう。そのため、広報効果が大きい新聞やテレビのニュースで取り上げてもらえることを期待して記者発表をおこなった。記者発表と言っても、通常は資料を配布するだけに留まることが多いが、本省の記者クラブからリクエストがあり、記者へのレクチャーも行った。幸い、翌日の全国紙や全国ニュースで取り上げてもらうことができたため、期待通りの広報効果を上げることができた。

 

一方、地図記号の公募に際して内部で議論になったのは、応募作品数の規模感であった。地図記号の公募は初めての取り組みで前例がなかったので、参考にできる資料が乏しかった。応募作品の整理を依頼した外部委託先との打合せでも、作品数の多寡が委託費に影響するため、議論となった。事前の打合せで、委託先は5千件程度を想定していたが、私は全く根拠なく1万件は超えたいと思っていた。ところが、実際の応募作品数は、風車と老人ホームを合わせて当初の想定の10倍以上の11万8千件あまりとなった。また、全ての都道府県に加えて、視覚障害特別支援学校や海外11カ国の日本人学校からも応募があったのには驚いた。嬉しい悲鳴ではあり、委託先からも追加予算を求める声が出るほどであった。

 

この間、担当課長は異動になり、新しい課長が地図記号の公募を担当することになっていた。そこで、その課長が着任して間もなく、立ち話で直接本人にいろいろ指示をし始めたところ、急に怒り出して「私のほうでやりますから、口を出さないでください」と言われてしまった。つまり、自分のやりたいようにやらせてくれ、というのである。普段は温和な方だったので少々驚いたが、逆に公募の仕事を自分のものとして全力で取り組んでいる様子が分かって嬉しい気持ちにもなった。後日、その課長の部下たちからは、課長が地図記号の仕事しかしていない、という愚痴が聞こえてきた。職員からそんな愚痴が出てくるくらい、課長でも好きな仕事に集中することが許容される職場が好きだった。

 

選考結果

多数の応募作品は外部委員会で審査され、風車と老人ホームについて最優秀作品が1点ずつ選ばれた。風車は中学1年生、老人ホームは小学6年生の応募作品であった。それぞれの作品のデザインに基づいて、職員が地図記号に相応しい形に整えたものを最終案とした。その過程で、既存の商標や記号などについても調査を行い、類似するものがないことを確認した。風車は一般的なイメージと大差ないものであったが、老人ホームは家の中に杖が描かれたもので、良いデザインが選ばれたと納得した。

 

図3.公募で決定された風力発電の風車の地図記号とそれが表示されている地形図(出典:地理院地図:下北半島尻屋付近及び国土地理院ホームページ)

 

 

図4.公募で決定された老人ホームの地図記号とそれが表示されている地形図(出典:地理院地図:東京都清瀬市付近及び国土地理院ホームページ)

 

 

突然の異動

地図記号の公募期間が終了したのはその年の10月末で、年末が近づいていた。12月になると、次年度の人事異動に向けた作業が本格化するため、その準備をしなければと思っていた11月半ばのある日、私は突然部長室に呼ばれた。いつもは穏やかな表情で迎えてくれる部長だったが、その時は険しい表情で、急に私の異動の話を始めた。部全体の人事を担当する筆頭課長が、人事作業の直前に異動するというのは聞いたことがなく、ただごとではないということがすぐに分かった。しかも業務内容は、次の日から霞が関の本省の仕事を手伝うというものだった。それで、徹夜覚悟の仕事になると直感した。

 

案の定、次の日からは早くても終電、そうでなければタクシーで帰るという日々が続くことになった。当時職場がつくばだったので、私はつくば市の自宅に住んでいたが、国連から帰国した際に、3人の息子全員の通学先が都内及び近隣の学校になったため、家内と子どもたちは都内に住んでいた。いわゆる逆単身赴任状態だったのである。そのため、仕事で遅くなってもつくばに戻らずに、都内で休むことができたのは幸いであった。それでも、午前2時や3時に帰宅し、その日の9時過ぎに出勤するという生活パターンは持続可能ではない。私以外にも数人の若手職員が本省に派遣され、つくばから通っており、彼らも気力的にも体力的にも限界に近い状態が継続することとなっていた。

 

仕事の内容は、当時打ち上げが計画されていた人工衛星のデータ活用が進むように、高精度の地図データの整備方法を検討し、内閣提案の法案としてまとめることだった。高精度の地図データは、自治体やライフライン企業などが独自に整備していたため、それらのデータを統合して持続可能な形で更新できるような仕組みを構築するのは至難の業であった。しかも、さまざまな立場や意見を持った関係者がいる中で、全員が満足できるような理想の仕組みを構築することには所詮無理があった。最終的には内閣からの提案ではなく、議員立法として通常国会の終盤に提出されて継続審議となったため、一息つくことはできた。しかし、翌年の通常国会での成立が想定される中で、成立後の運用に向けた基準作りなど検討課題は山積していた。そのため、終電やタクシーでの帰宅は少なくなったものの、のんびりできる状況ではなかった。

 

新たな法律改正業務の発生

しかも、国土地理院が所管している測量法についても、デジタル時代に対応した改正を目指すためのプロジェクトチーム(以下PT)が組織されることになり、その責任も任された。そして、同じPTが前述の議員立法対応も行うことになったため、2つの法案を同じ通常国会で対応する必要が生じた。実のところ、それまで法改正には携わった経験がなかったため、手探りで仕事をする日々が続いた。

 

法改正は、いわば法律の条文を加除修正することだが、簡単に変えられては世の中が混乱する。法律が社会の変化に対応しなくなれば変更は必要だが、元の法律に基づいて生計を立てている人たちもたくさんいるため、その人たちの立場を無視しては、逆に必要以上の混乱が生じることになる。したがって改正案の作成にあたっては、関係する業界団体などの意見も聴取しつつ、慎重な検討が必要であり、団体によって利害が異なることもあるので、その調整に時間もかかる。

 

また、修正内容をどのように条文に表現するかも重要になる。読点の位置が違うだけで条文の意味が全く変わることもあるため、国会に提出する前には内閣法制局の審査が必要になる。審査のための打合せは何度も行われ、毎回数時間かけて法案について議論を行った。並行して、国会審議に向けて200ぐらいの想定問答を準備した。通常国会が始まると、関係する国会議員や与党への法案説明を行うために、本省の中に執務室を借りてPT全員で議員会館などに出向いて説明にあたった。

 

さらに、実際の法案審議を行う委員会が開催される前日には、質問予定の議員のところに質問を取りに行くことになる。夕方に質問を取ってきたら、夜のうちにその答弁案を作成し、政府参考人として答弁を行う院長に説明し、必要な修正を行ったうえで印刷して関係部署にも配布するという作業が待っている。慣れない作業だったこともあり、全ての準備が終わるのは明け方で、休む間もなく委員会の開始時刻になるので、ほとんど徹夜の作業になった。国会対応で公務員の残業が多くなっているというニュースを時々耳にするが、それを実体験させていただいたのである。あまり何度も経験したくないことではあるが、この時の経験は、後日政府参考人として自ら国会の委員会で答弁することになった際には大いに役立ったことは間違いない。

 

もちろん、最近は働き方改革が浸透して労働時間の管理が厳しくなったため状況は改善していると期待する。しかし、当時は国会審議前夜の徹夜は当たり前という風潮であったし、職場にはそれを乗り越えて一人前というような雰囲気もあった。一方、そのような仕事を長期間継続するのは健康上望ましいはずがない。私も、PTの仕事に従事している途中で片側の耳に雑音が聞こえ始め、聴力の低下を感じるようになった。病院に行かなければと思いつつも、忙しさで先延ばしにしていた。1ヶ月が過ぎてから耳鼻科に行った時には、もっと早く来てくれれば治ったのにもう手遅れかもしれないと医者に言われてしまった。実際、その「予言」の通りに今でも聴力が低下したままのため、その耳の方向から話しかけられても聞き取りにくくなっている。また、同じPTで当初から本省で仕事を一緒にしていた後輩がいたのだが、PTの仕事が一段落した後で、以前に手術をしていた癌が再発し、その数年後にこの世を去った。組織の中枢を担う職員となることを期待していた有能な職員だっただけに非常に残念で、PTの激務が少なからず影響していたと考えると胸が痛んだ。

 

万事が共に働いて益となる

これらのことを経験する中で、しばしば国連職員を続けていた方が良かったのではないか、国連を辞めたのは間違いだったのか、という思いが何度か心に浮かぶことがあった。しかし、そのたびに慰めや励みになったのは、私を創造し、愛している神が、そのような状況が私に起こることを許されているという確信であった。同時にそれまでも何度も励ましを与えてくれていた新約聖書の御言葉が支えとなっていた。

 

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。」
(ローマの信徒への手紙第8章28節;聖書協会共同訳)

 

とは言え、それまでの様々な経験を思い起こすたびに、それが「共に働いて」どのように「益となる」のかについては、具体的なイメージを持てないまま時が過ぎていった。そして、退職年齢が近づき、先輩たちの例に倣(なら)って退職後に都内に勤務することを想定して、駅近のマンションへの引っ越しを家内と話し合う機会が増えていた時だった。それまで点としてしか考えていなかったいくつかの経験が「共に働いて」1つの線として繋がって「益となる」ということを実感する話が飛び込んできたのである。