青山学院の礼拝堂〈8〉 中等部礼拝堂
2020/07/07
中等部待望の礼拝堂が2018年に完成し、2019年1月8日に献堂式がおこなわれました。礼拝堂正面には青山学院講堂から移された高さ2メートルほどの十字架が掲げられています。この十字架は、青山学院講堂が完成した当時、中等部美術科教諭だった小坂圭二先生が制作した作品で、約400年前の木曽ヒノキを使用しています。また、ステンドグラスは、中等部卒業生で画家の堀川理万子さんが制作を担当したもので、代々木公園にあるサイカチの老木から着想を得て「生命の樹」をデザインしました。なお、ドイツのワイムスオルガン制作会社(Weimbs Orgelbau Gmbh)のパイプオルガンは、中等部同窓会「緑窓会」や、保護者・校友・生徒たちの寄付によって設置に至りました。
礼拝堂では毎日の礼拝のほかに、クリスマス礼拝や入学式・卒業式なども行われます。レンガの壁を設えた内部には、東西南北のステンドグラスの窓から自然光が差し込み、神聖な空間を厳かに照らしています。
中等部門より望む礼拝堂の外壁には十字架が掲げられている。
「私は20年前フランスに留学し、ヨーロッパの教会の十字架を見て、その重さに感動し、いつの日か青山学院の何処かに、あのような十字架ができたらと念じていた」(「青山学報」104号〈1981年7月発行〉)。青山学院講堂に十字架が設置された当初、小坂先生はこのような思いを語っていました。
青山キャンパスには、多くの小坂先生の作品があります。建替え前の中等部校舎にも幾つかの作品が飾られていましたが、現在では中等部の倉庫に大切に保管されています。
それでは小坂圭二先生とはどのような方だったのでしょうか。
小坂先生は、青山学院中等部に32年にわたって勤めた美術科教諭であり、彫刻家でもありました。1918年に青森県上北郡野辺地町に生まれ、1950年に東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業しました。阿部合成(洋画家)、柳原義達(彫刻家)、菊池一雄(彫刻家)などに師事し、「乙女の像」を制作中の高村光太郎(詩人・歌人・彫刻家・画家)の助手も勤めました。
1938年から中国、 1943年からはラバウルにて兵役に服した経験を経てキリスト教に興味を抱き、38歳で洗礼を受けたため、小坂先生の作品にはキリスト教関係の主題が多くとりあげられています。
1952年、青山学院中等部に奉職した小坂先生は、朝4時に起床し、飯ごうにご飯と豆腐の味噌汁を入れて5時に出勤していたそうです。そして仕事が終わった22時頃に教室の電灯を消し、静けさの中、非常階段を降りながら夜空の月・星・雲のおりなす美しさに立ち止まり、スケッチをしたことも少なくなかったようです。小坂先生のお人柄について、同期の田中保先生は「青山学報」118号(1984年5月発行)の中で「謙虚な人柄でよくジョークを飛ばしますが、一端話し始めると熱が帯び、東北人特有方言丸出しでしゃべりまくるのですが、その端々に厳しい言葉がついてきます。これがまた先生の魅力でもあるのです」と語っています。
1970年に開催された大阪万国博覧会EXPO’70ではキリスト教館に「世界の破れを担うキリスト」を出品。1973年には「断絶の中の調和」がバチカン現代宗教美術館に買い入れられ、翌年には東京カテドラル大聖堂に「太平洋の壷」が納入されました。 1980年に開催された「第1回高村光太郎大賞展」では優秀賞を受賞するなど、多くの賞を受賞しています。
※学院・各設置学校はそのほかにも本記事では掲載しきれなかった作品を所蔵している。
小坂先生は「作品は私の分身」(「青山学報」118号)と述べており、中等部を退職したあとも新制作協会、キリスト教美術協会に所属し、1992年に亡くなるまでの間、作品を創り続けました。