フィンランド 〜1年間暮らして考えたこと〜 【第7回】
2024/10/18
フィンランドについてよく訊かれる質問の一つに、「フィンランドでは何語を使っているの?」というものがあります。フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語で、フィンランド語を母語とする人が90%弱、スウェーデン語を母語とする人が5%強います。その他、北極圏に住むサーミ人の言語であるサーミ語は、先住民の文化を尊重する観点から、母語とする人の数は少ないですが準公用語の扱いとなっています。さらに言えば、ロマの言語だとか、ロシアに近いカレリア地方の言語もあり、フィンランドの言語事情は複雑です。
そのような細かい説明は端折って、「主にフィンランド語」と答えるとたいてい「フィンランド語ってどんな言語? 何語に似ているの?」と続けて尋ねられます。「一番近いのは、エストニア語」と答えると、質問した人は「え?」という顔になるので、さらに「ハンガリー語も親戚」と加えると、「わけがわからない」という反応になります。
例えば、2015年から2021年までNHK交響楽団の主席指揮者を務めたパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Järvi)は、エストニア出身ですが、彼の姓のJärviは、エストニア語でもフィンランド語でも「湖」という意味です。「森と湖の国」と称されるフィンランドでは、よく見かける単語です。
フィンランド語は、言語の系統としてはウラル語族のフィン・ウゴル語派に属しています(エストニア語もハンガリー語も同様です)。一方、英語はインド・ヨーロッパ語族に属しているため、フィンランド語と英語は全く違う言語ということになります。なお、スウェーデン語は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属する言語ですから、英語やドイツ語と親戚です。吉祥寺にALLT GOTTというスウェーデン料理のレストランがありますが、alltは英語のall、gottは英語のgoodに当たります。
私の住んでいたタンペレでも、首都ヘルシンキでも、例えば列車の駅では、Tampere/TamerforsやHelsinki/Helsingforsのように駅名がフィンランド語とスウェーデン語の両言語で記されています。
公共の場所では英語も併記されていることが多く、例えば図書館で書棚のジャンルを示す表示は、フィンランド語・スウェーデン語・英語と3ケ国語で記されています。
ちなみに、世界的に有名な、ヘルシンキにある図書館Oodiで、1ケ所だけ1つの単語のみが記されている棚がありました。それは「Manga」です。「マンガ」は「アニメ」同様、さまざまな言語にそのままの形で取り入れられています。
フィンランドの中でも南西部はスウェーデンに近いこともあり、スウェーデン語の比重が高くなってきます。スウェーデンの支配下にあった時代の都で、ヘルシンキから西に200キロメートル弱のところにあるトゥルク(Turku、スウェーデン語ではÅbo)から群島地方に向かうと、フィンランド語より前にスウェーデン語を記してある地名の看板などが目に入ってきます。フィンランドとスウェーデンの間に位置するオーランド(Åland)諸島は、フィンランドの自治領となっていますが、スウェーデン語が公用語です。
スウェーデン語が優位な地域を除くと、日常生活の中で目にするのは、やはりフィンランド語が大部分です。例えばスーパーに買い物に行くと、商品名の表示は全てフィンランド語です。在外研究での滞在中、スーパーに買い物に行くたびに、スマホの自動翻訳をフル活用していました。
観光でフィンランドを訪れると、ホテル、レストラン、観光地、博物館など、どこでも英語が通じます。しかも、皆流暢な英語を話します。日常生活を送るうえで、会話をする場面では英語だけでほとんど問題がありません。
フィンランドで1年間生活をして、英語が全く通じなかったという経験は2回しかありませんでした。2回とも広場に様々な露店が出ているところで、食べ物を売っていた年配の男性が、全く英語を理解したり話したりすることができませんでした。
最初はフィンランドに着いたばかりの4月で、こちらもフィンランド語がわからず、言語では全くコミュニケーションができずに表示してある値段を見て買い物をしました。2度目は約10ケ月後の2月で、「これ何?」「何が入ってるの?」「いくら?」といったことを話して会話がそれなりに成立して、とても嬉しかった記憶があります。
大学でも英語で用が足ります。私が聴講していた大学院の授業や博士論文の研究指導などは、フィンランド人の教員・学生も含めて英語で話をしていました。交換留学で来ていた知り合いの学部生たちも、もっぱら英語で行われている授業を受けていました。
しかし、フィンランド語で行われる授業もあります。私が在外研究を開始した直後に、受入教授から「学校教員を目指している学生たちがプロジェクトの成果を発表するから、この授業を見に行ってみるといいよ」と薦められて見学した講義は、フィンランド語で行われていました。学生の発表もフィンランド語です。パワーポイントに書かれているフィンランド語にスマホを向けて翻訳をしたり、英語が得意な学生が隣に座って概要を英語で教えてくれたりして、だいたいの内容を把握することができました。
自分たちが学校現場で実践的に「研究」した成果について手際よく英語で話すことができるほどの英語力を持っている学生は多くありませんでしたが、受講生の大部分は英語である程度の会話ができました。また、その授業を担当していた数学教育が専門のベテランの先生も、英語はあまり得意ではありませんでしたが、ちょっとしたコミュニケーションであれば英語で十分に意思疎通ができました。
なぜほとんどのフィンランド人の英語力が高いのか、少なくとも日常会話や仕事でのやり取りに十分な英語力を持っているのか、英語の勉強に苦労している日本人としては、とても気になるところでしょう。日本人が英語を苦手な理由として、「日本語は英語と全く異なる言語だから」と言われることがありますが、フィンランド語も英語と全く異なる言語ですから、あまり理由になりません。
フィンランド人自身が英語の学習についてよく言うのは、「子どもの頃からテレビや映画で英語に触れているから」ということです。フィンランドは人口550万人程度の「小国」なので、テレビ番組や映画なども自国で制作されるものは限られています。子ども向けのテレビ番組や映画も、多くが他国で作られたもので、その中には英語のコンテンツが多いのです。日本では、海外で制作された子ども向けの映画やテレビ番組は、せりふが日本語に吹き替えられていることがほとんどです。それに対してフィンランドでは、フィンランド語に吹き替えているものは少数で、多くは音声が英語のままで、フィンランド語の字幕がつけられて放送されています。子どもたちは、テレビ番組や映画の内容を理解したい、もしくは理解しようとするため、自然に英語が身につくと言うのです。
また、大学進学や就職などは、フィンランド国内でと考えている人ももちろん多いですが、国外に出る人も少なくありません。というより、「国内」「国外」と分けて考える意識が、私たち日本人より薄いように思います。学びたいことややりたいことがあれば、国内も国外も大きく分けて考えていないように感じられます。かつては、仕事を求めて多くのフィンランド人が他のヨーロッパの国々やアメリカなどに移住した時代もありました。
もちろん、学校教育の中で外国語や英語の教育・学習に、日本と異なることもありますが、英語の修得においては英語に触れる環境や英語・外国語に対する意識が非常に重要なのだと感じます。