Column コラム

ロンドンのテムズ川──橋を巡る散歩道【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第14回】

青山学院大学文学部比較芸術学科教授

佐久間 康夫

夢のかけ橋を見つけて

ロンドンの劇場街ウェスト・エンドの一角、コヴェント・ガーデンにオペラとバレエの殿堂ロイヤル・オペラ・ハウスがあります。正面から脇に回り込むと、道を隔てて併設されたロイヤル・バレエ学校では、若きバレエ・ダンサーが明日の晴れ舞台を目指して、日々研鑽を積んでいます。

オペラとバレエの殿堂ロイヤル・オペラ・ハウス

 

路地から頭上を見上げると、学校の上階からオペラ・ハウスへつながる奇妙な構造物に目がとまります。これは“Bridge of Aspiration”(夢のかけ橋)と呼ばれる渡り廊下です。オペラ・ハウスの舞台に立つのは、生徒にとって至上の夢なわけで、うまい名前を付けたものです。

バレエ学校からオペラ・ハウスへ「夢のかけ橋」

 

橋を渡ると、そこには新しい世界がひらけている──そんな気持ちに誘われます。どのような橋であっても、なにがしかドラマが予感されるゆえんです。今回は、ロンドンのテムズ川にかかる8本の橋をたどって、私がガイドを務める散策ツアーにご参加ください。

ウェストミンスター橋からタワー・ブリッジまで、ものの数キロの距離です

 

ウェストミンスター橋から東へ

ウェストミンスター地区から南岸へ、ウェストミンスター橋がかけられたのは1750年にさかのぼります。詩人ワーズワスが大都会の佇まいに打たれ、「心ゆさぶる荘厳な眺め」と詩に詠んだのも、この橋の上でした。その後1859年に、北岸の国会議事堂にビッグ・ベンの通称で親しまれる時計台が竣工しました。

ウェストミンスター橋を渡るとビッグ・ベンの雄姿が

 

ビッグ・ベンとは、厳密にはこの時計台に備わる大小5つの時鐘のうち一番大きな鐘のことを指すのですが、そのメロディーは日本でもおなじみですね。2012年、時計台はエリザベス女王の在位60周年を記念してエリザベス・タワーと改称されました。

ウェストミンスター橋から東(下流)へ向かって最初に出会うのがハンガーフォード橋です。チャリング・クロスと南岸を結ぶ鉄道路線用に1864年に架設されました。2002年には橋の両側に、同じ橋脚を使った歩行者用の吊り橋、ゴールデン・ジュビリー橋も作られています。さらに東側にもう1本歩道橋が建設される計画だそうで、まるでもう橋の博覧会の趣です。

ハンガーフォード橋。まるで夕暮れの情景に溶け込んだよう

 

すぐ川下に見える橋はウォータールー橋です。往年の名作映画『哀愁』(1940)の原題は、ずばり「ウォータールー橋」。第1次世界大戦に運命を翻弄された兵士とバレリーナの悲恋を描いたメロドラマで、主演のヴィヴィアン・リーの美貌もあって、一世を風靡しました。

ウォータールー橋。南岸にはロイヤル・ナショナル・シアターが

 

スウェーデンのポップ・グループABBAのデビュー曲は「恋のウォータールー」でした。原題は単に「ウォータールー」で、男女の恋の駆け引きをワーテルローの戦いになぞらえた歌詞です。ウォータールーはナポレオンがウェリントン将軍率いる連合軍に敗北を喫したベルギーの地ワーテルローの英語読みで、実際この橋は対ナポレオン戦争の勝利を祝って、1817年に開通しました。現在の橋は1945年に建てられたものです。

 

シェイクスピアグローブ座近くの橋

さらに下流に歩みを進めると、1769年に完成したテムズ川で3番目に古い橋、ブラックフライアーズ橋が見えてきます。名前は北岸にあったドミニコ会派ブラックフライアーズ修道院に由来しています。美しい彫刻が施された現在の橋の完成は1869年で、時の女王ヴィクトリアに献呈されました。

ブラックフライアーズ橋。中世の由緒ある修道院に由来する名前の橋

 

次のミレニアム橋はその名のとおり西暦2000年という千年紀を祝う予定でしたが、橋の強度に問題が生じて、オープンは2002年にずれ込みました。橋を南に渡ると、目の前に現代芸術に特化した美術館テート・モダンが一種異様な迫力で迫ってきます。以前は発電所だった建物ですが、それを美術館に改築したというアイデアに拍手です。

美術館の東側には、シェイクスピアのグローブ座が1997年に再建されています。夜の観劇後に劇場を出ると、テムズ川越しにライトアップされた聖ポール大聖堂が目に飛び込んできます。ここから眺める北岸の夜景はひときわ美しく、陶然とします。

ミレニアム橋。聖ポール大聖堂と芸術の香り豊かな南岸を結ぶ歩道橋

 

グローブ座から東へ、ロンドン・ブリッジ駅方面に向かって徒歩数分のところにサザック橋があります(1819年完成)。テムズ川にかかる橋の中でも、その装飾性では一、二を争う橋です。

南岸サザック地区のクリンク監獄博物館にも立ち寄ってみてください。ここは中世以来、監獄があった場所で、おどろおどろしい残酷趣味の展示にギョッとします。シェイクスピアが活躍していた頃には、劇場や熊いじめ場のような娯楽施設が何軒も存在し、さらにウィンチェスター主教の住居から監獄まであったのですから、当時の世相が凝縮された地域といえます。

サザック橋。サザック地区にはシェイクスピア時代の名残がいろいろ

 

ロンドン橋タワー・ブリッジ

ロンドン橋は、英語の伝承童謡『マザー・グース』の1曲「ロンドン橋落ちた」で有名です。一説では、1000年を超える昔に橋梁を築くに当たり人柱を捧げたという人類の負の歴史が、この童謡には込められているとか。最初に石の橋がかけられたのは1209年と伝えられますが、橋上に住居が建てられて、アーチ状の橋桁がズラーっと立ち並ぶ構造でした。そのせいで川の流れが勢いを増して、往来する船がよく転覆したそうです。2回の改築を経てコンクリート製となった今では、童謡とは裏腹にとても「落ち」そうには見えません。

ロンドン橋の橋名板。上の彫像はイングランドの守護聖人セント・ジョージのドラゴン退治伝説にあやかったもの

 

18世紀半ばまで、ロンドン橋はテムズ川にかかる唯一の橋で、通行料を徴収していました。シェイクスピア時代のロンドン市民は川向うへ芝居見物にくりだす際にもっぱら渡し船を利用しました。反逆者がさらし首にされたのもこの橋で、シェイクスピアの『リチャード三世』には「橋に生首を高くかかげてやる」というせりふが出てきます。

10年ほど前のある日、全長約300メートルのロンドン橋の真ん中から、テムズ川を一望する景色を写真に撮ろうと試みました。するとにわかに大雨が降り出し、機材を濡らすまいとあわてて岸に戻ると、一転きれいな青空に。何だと思いながら、もう一度橋を歩きはじめると、また雲行きが怪しくなり、やおら雨のしずくが。変わりやすいイギリスの天気のなんとうらめしかったこと!

ロンドン塔の東側に接するタワー・ブリッジは、ゴシック様式の2基の塔が支える吊り橋と、中央60メートルの跳開橋からできています。大英帝国の土木技術を誇示する目的で1894年に建設されました。現在、塔の中は博物館になっていて、水上50メートルの展望通路から大都会を見はるかす眺めは息を呑みます。橋が開く回数は激減しましたが、運がよければ、豪快に橋をはねあげるパフォーマンスに出会えるかもしれません。

タワー・ブリッジ。その造形美に惚れ惚れ

 

豪快にはねあがる橋に歓声が起こります

 

テムズ川はコッツウォルズ丘陵に源流を持ち北海に注ぐ、長さ338キロにもおよぶ大河ですから、そこにかかる橋も半端な数ではありません。もっとご紹介したいところですが、今回は時間が来てしまったようです。

[Photo:佐久間 康夫]

 

参考文献
谷川俊太郎訳、平野敬一監修『マザー・グース』(講談社文庫 1981)
蛭川久康ほか編『ロンドン事典』(大修館書店 2002)

※本サイト掲載の写真および文章について、無断転載・転用を禁じます。