黒板アートが引き出す子どもの探求心〈卒業生・上野広祐さん〉
2020/04/23
──教員として最初に赴任した杉並区桃井第一小学校で、黒板アートが始まったのですね。
桃井第一小学校には6年間勤めました。最初は担任を持ち、4、5年目は図画工作専科を、最後の1年間はまた担任を持ちました。初めて描いた黒板アートは子どもたちにも人気があるトトロです。僕は教育実習があまりうまくいかなかったこともあり、最初はとにかく不安でいっぱいでした。これからきちんと担任として勤められるのかと心細い思いで廊下を歩きながら各教室を見たら、どの黒板にも担任の先生のすごく素敵なメッセージが書かれていました。なんだかすごく感激して、ふと僕も「文章を書くのは不得手だけど、絵だったら描けるんじゃないか」と思いました。そこで「トトロだったら万人受けするかな」と、チョークで黒板に描いてみたのです。これが生まれて初めての黒板アートでした。これからずっと描いていくぞという気負いは一切なく、あくまでも絵という形でほかの先生方の真似をしたに過ぎません。ところが子どもたちが、「先生、明日はなに描くの?」と言ってきたのです。どうしようと焦りましたが、自分の指導に自信がないからこそ、まずは請われたことをしっかりやろうというところから始まりました。
黒板アートは毎日描いていたわけではありません。子どもたちがスッと懐に入ってくる感覚があって、最初はその感覚に自信がないときに描いていました。絵の助けを借りたのです。教員1年目の新学期は、毎日のように描きました。次第に子どもたちとの関係がうまく回るようになると、今度は一緒に遊び、過ごす時間を少しでも多く取りたいと思うようになり、描く機会はおのずと減りました。また、毎年5月の終わりくらいから不登校になりそうな空気のある子どもが出てくるのですが、そのタイミングで絵を描くと気持ちがつながり休まず登校してくれることもあったので、その時期は意識して描くようにしていました。黒板アートは、僕と子どもたちとのコミュニケーションツールとしての役割を果たしていました。
黒板アートに対する子どもたちの反応は年によってまちまちです。ある年の子たちはアートの技法よりも描かれた実物にこだわり、ひたすら昆虫を捕まえたり貝殻を拾ったり……。別の年の子たちは、どうやって描いたかという点に強い興味を示しました。
──館山さざなみ学校に着任されたときは、どのようなお気持ちでしたか。
前職の桃井第一小学校は当時、児童数も多く杉並区で一番大きな小学校でした。一方、ここは1学年が数名という規模です。これほど少人数の学校で自分に何ができるのかという心配はありました。ただ最初の段階から、ここが特別支援学校だからと児童の「違い」は意識しないようにしていました。僕がみんな同じ「子ども」という視点で接するからこそ応えてくれることもあると考えたからです。子どもたちは親元を離れて暮らしている分、先生への信頼がすごく厚く、必然的に関わり合いも深くなります。そのため、子どもたちに僕の思ったことをそのまま伝えられるし、子どもたちも一生懸命考えてくれるので、ここに来てから子どもたちとの距離がとても近くなったと感じます。
僕自身は、周囲から館山さざなみ学校に来てから「前よりずっと朗らかになった」と言われます。ゆったりした気持ちで過ごせているせいかもしれません。自然があふれる館山も大好きで、来たばかりの頃は自転車で館山中を巡っていました。その中で植物や貝殻、昆虫といった館山の自然を肌で感じてきたので、今はすっかり「館山のために」という意識が芽生えています。
また、着任して2年目の2018年度は、全登校日の約200日間、館山の自然をテーマにした黒板アートを描きました。絵の題材が昆虫や植物、貝類に偏っているのは、ここの子どもたちにとってそれらが一番身近で親しみやすいものだからです。黒板アートで意識していることは、必ず描くものの実物を用意するということ。本物があるからこそ身近に感じられるし、それを探してみたいと思う気持ちが生まれます。身近なものを題材にしている理由は、まさにここにあります。
僕は絵を見てほしいから黒板アートを描いているわけではなく、その絵が出会いや気づきのきっかけになってくれればという思いで描いています。オナモミ一つ取っても単に「雑草」で片づけるのではなく、「なぜ棘がいっぱい生えているんだろう」、「なぜ先端がフック型になっているんだろう」、そんな風に気づいてもらうきっかけとして、黒板アートはあると思っています。
──黒板アートは『黒板アート南房総200日の記録』という書籍にもなりました。
実は僕、ストレスが全然たまらないタイプなのです。「次にやりたいこと」がどんどん出てくるので、常に何かに向かってまっしぐらに突き進んでいる状態です。当然楽しいので、ストレスとは無縁です。ただ最近は、先を見つめることはもちろん大事ですが、振り返ることも時には必要だと考えるようにもなりました。そういう意味で、書籍が一つの大事な振り返りのきっかけになっている気がしています。特に青山学院でお世話になった先生方に、この本を通じてお礼を伝えたいという思いがとても大きいです。
今、館山さざなみ学校の図工の授業では「館山をアートにする」というテーマで、地元の自然の素材を使っていろいろ作っています。これは僕が黒板アートで伝えたい「館山という地域の素晴らしさやそこにある素材への気づき」を、まさに具現化したものです。地域のよさを活かした図工教育が子どもたちの学びや気づきにつながるのなら、今後、僕が黒板アートを描く機会がなくなってもいいかなと思っているところはありますね。
実は現在、横浜の大学院に夜間通い、教育学、図工を専門に学んでいます。同期には学校の校長先生、副校長先生、大学の先生など私よりも経験豊かな年上の方たちがいて、本当に刺激があります。大学院では先生に加え、そのような同期から学ぶことも多くあります。教育とは何だろうかと議論することもあり、大学院での勉強は本当に面白いです。
──先生の目指す教師像とは何でしょうか。
子どもたちが大人になったとき、「学べてよかったな」と思えるような教育ができる教師です。その渦中では大変だったとしても、学んでいったことが血となり肉となり、そして力になればうれしいですね。僕自身も小さい頃は山のように習いごとをしていて、週7日間予定がぎっちり埋まっている状態で、各々の習いごとの魅力に気づけないままでした。しかし、その頃ピアノを習ったおかげで今はピアノを弾く楽しさを味わえていて、「ピアノを習っておいてよかったな」としみじみ思うわけです。また、子どもたちと一緒にサッカーもするのですが、自分が昔あれほど夢中になって打ち込んだからこそ、子どもたちとサッカーの楽しさを共有できます。大人になったときにつながるような教育をしたい、成長していく手助けができる教師でありたい、そう思っています。
──最後に、在校生へのメッセージをお願いします。
青山学院のよさは、人の温かさにあると思います。私は美術部で絵を描き続けていましたが、絵よりも私を支えてくださる多くの方との出会いのほうが、今につながっているように思います。忙しい毎日だと思いますが、ときにはゆっくり立ち止まり、楽しんでいただければと思います。
──本日はありがとうございました。
1988年、東京都生まれ。青山学院中等部、高等部を経て2011年大学文学部教育学科卒業。同年4月より6年間、杉並区の小学校で教員を務め、2017年4月より大田区立館山さざなみ学校(千葉県館山市)に勤務。2019年8月、2018年度の約200日間描いた黒板アートを1冊にまとめた『黒板アート 南房総200日の記録~子どもの世界が変わるとき~』(本の泉社)を出版。
[Photo:片山よしお]