日本の英語教育が目指すもの
2019/04/18
木村 教育現場にはアクティブラーニングという考え方が入ってきています。今後は学習そのものが中心となって課題を解決していくLearning-centered(学習中心主義)が中心になっていくと考えられますが、お二人はこの傾向に関してどう思われますか。
嶋津 僕は2015年に世界の英語教員免許であるCELTAというケンブリッジ英語教員資格を取得したのですが、その際に日本で導入され始めたアクティブラーニングの授業を行いたいと言ったら、「そもそもアクティブラーニングではない授業はない」と言われました。生徒が主体となる学習者中心主義の授業が当たり前ということです。そのような経験から、アクティブではない授業は授業ではない、単なる教員による知識を一方的に伝える講義に過ぎないと思うようになりました。
髙木 日本の場合、これまでの歴史もありますし、先生方や学習者自身も発想の転換をしないといけないということで、文部科学省はあえて強調するという意味も含め、アクティブラーニングという言葉を使っている側面もあると思います。
木村 「アクティブラーニングは知識+経験+省察によって成り立つものである」という共通理解が、改めて必要かもしれませんね。アクティブラーニングという言葉に踊らされ行っているような授業も見たことがありますから。それではアクティブラーニングにもならないし、従来型の知識注入型の教育にもなりません。どういう点を重視すべきだと思いますか。
嶋津 生徒は自分が探究したい、解決したいという問題を自分でセットすることが一番大事かと思います。教員の役割は、いかに物事を教えずに生徒から引き出すか、「質問力」が問われると思います。教えるのは簡単ですが、質問するのは難しいものです。
髙木 アクティブラーニングというとペア、グループなどによる協働学習を連想しがちですが、まず形態にとらわれすぎないことですね。また、今までは知識を一方的に教えていましたが、課題解決にいたるプロセスが非常に大事だと思います。
木村 教員の意識が変わらなければならないし、学習は学習者が中心となって課題解決に当たるという姿勢への共通理解が高まらないといけないということですね。アクティブラーニング研究の第一人者である溝上慎一教授(京都大学)は、学習の「外化」(具体化)の重要性を特に強調されています。アクティブラーニングに象徴される学習中心主義の教育は、あえて一つフォーカスするとしたら、「外化」を通しての課題解決能力の育成ということでしょう。知識理解中心の従来型の教育との差が、ここに出ていると思います。