青山学院の四季彩-グリーンパーティーへようこそ-橙(だいだい)色の誘惑
2020/01/14
渋谷駅のおびただしい人の流れをかき分けるようにして
歩いて15分。そこに青山学院青山キャンパスはある。
国道246号に面した青山学院正門前に立つと、イチョウ並木に縁取られた美しいメインストリート、
その先の端正なヒマラヤスギ、緑の合間からは間島記念館のコリント式円柱の緩やかなラインが覗ける。
朝に昼に夕暮れに、いつだって時間に追われるように走っているせいか、
あまりじっくりと見たことはなかったが、なかなかの眺めである。
門を通り、ゆっくりとかみしめる様に歩いていくと、
なんとまぁ小鳥のさえずりまでが聞こえてくる。
やはり、ゆとりがあると違う。
広報部員・聖(ひじり)はほくそ笑んだ。
できるならば学内の緑を食べてみたい! という一途な願いが天に通じたのか、
ミカンの木が学内にあるらしいという情報が舞い込んだ!!
早速、グリーンパーティーを招集する。ゆいちゃんとあやのちゃんが
参加してくれるらしい。
これはグリーンパーティーならぬ“ミカンパーティー”になるかもしれない。
聖の心の声を代弁したかのように、甲高い鳥の声が響いた。
今、太陽が西に傾き、メインストリートを琥珀色に染め始めた。
いかにも穏やかな午後だが、学生たちがきびきびとした足取りで歩いている
のを見ると、定期試験が近いことが伺える。
メインストリートを中ほどまで歩いていくと、大学17号館が左に見えてくる。
大学で一番新しい建物だが、17号館はどこかプラネタリウムを思わせる。
半円形の張り出しがあるせいかもしれない。
17号館の前に行くと、ゆいちゃんとあやのちゃんが待っていた。
5号館に沿うように歩き出した。
小さい緑地から、風が吹きつけてきた。
ピリッと冷たいけど爽やかで、かすかに緑と土の香りがする。
日本のミカンは温州(ウンシュウ)ミカンとして知られており、古くに中国を経由して日本には鹿児島県で育った植物とされています。
ミカンを英語で何というかの答えですが、 unshu mandarine、あるいはsatsuma orange、もっと短くsatsumaだけで示すこともあります。もっとも、satsumaは陶磁器である薩摩焼を指すこともあります。英単語の百科事典でもある『オックスフォード英語辞典』によれば、1866年にイギリスの新聞「タイムズ」に陶磁器のsatsumaが紹介されており、日本語が英語になった例としてはかなり古いものといえるでしょう。
さて、イギリス文学に日本のミカンは登場するのでしょうか? 答えはイエス! 前回のモミの木のお話の時に、イギリスではヴィクトリア朝(1837年から1901年)の時代にクリスマス・ツリーの習慣が広まったことをご紹介しました。 その時代にアジアのことを最も知っていたとされる新聞記者であり学者でもあったエドウィン・アーノルドは、作家でもありましたが、彼が書いた「娘」(Musmee)という短い詩は、着物を来た女性の美しさに感激した様子が伝わる作品です。描かれる娘は、恋文や小銭とともに「熟したミカン」を持っており、1889年に日本を訪れ日本人と結婚したアーノルドが、実際に日本の女性をつぶさに観察した経験に基づいていることが分かる描写です。
実はみなさんがよく知っている『ハリー・ポッター』シリーズでもミカンが登場しています。『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』で、ウィーズリーおじさん、つまりロンのお父さんが入院した聖マンゴ病院には、奇妙な魔法にかかってしまい鼻に「ミカン」がつまった魔女が現れ、また、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』では、やはりウィーズリーおじさんがおばさんの前で「みかんの皮をむきながら」居眠りをしている様子が描かれています。上のどちらの例もクリスマスの場面ですから、日本でもミカンを食べる季節です。英語の原文で読むとどちらもsatsumaと書かれていることからも、確かに日本由来のミカンであることがわかりますね。
参考文献
「エドウィン・アーノルド」 Wikiwand, https://www.wikiwand.com/ja/エドウィン・アーノルド. 閲覧日2019年12月25日
J.K.ローリング『ハリー・ポッターと謎のプリンス』 松岡佑子訳 上巻 静山社、2006年
J.K.ローリング『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』 松岡佑子訳 下巻 静山社、2004年
“Satsuma, n..” Oxford English Dictionary, Oxford University Press, 2019,
https://hawking2.agulin.aoyama.ac.jp:2088/view/Entry/171259?redirectedFrom=satsuma#eid. Accessed 25 December 2019.
それにしても……
以前はあんなにたわわだったのに……聖は名残惜しそうにミカンの木を見つめた。
ミカン、漢字で書くと蜜柑。
いかにも蜜がいっぱい入っていて甘そうだ、想像しただけで脳みそがトロケそうになる。
そして蜜柑と書けば、日本文学。
「これはもう、近代日本文学に詳しい片山宏行先生のご登場を願うしかない!」
そう思い極めったのが今から数週間前――。
聖はミカンを見つめながら、12月の午後の陽差しの中、日本文学科合同研究室のある大学14号館、通称・総研ビルに走った日のことを思い出していた……。
サバティカル中(研究休暇中)だという片山先生に、ツテというツテを頼りに頼ってコンタクトを取ったのだ。
聖がガックリと肩を落としたまさにその時、片山先生から連絡が入った。
蜜柑の原稿をもう書いていただけたという。
喜びのあまり震える指で原稿のファイルを開いた。
5、6、17号館の間に、コの字に囲まれた花壇がある。花壇といっても、多くは樹木で、たいていは何かしらの由来があって植えられた記念樹である。17号館ができて、敷地が圧縮されたせいで、今はさまざまな木々が押し合いながら、上に上にと窮屈にのびあがっている。
その足元といおうか、小暗い地面に目をやると、高さ120センチほどの蜜柑の木が、細々と隠れるように斜め方向に伸びている。いわれを記したものもなく、おそらくは実生であろう。わたしが見たときには二つの果実がすがれた黄色味をおびて、小さなこうべをたれていた。
――底なしの憂鬱に閉じ込められた「私」が同じ列車に乗り合わせた田舎娘の行動で、「不可解な、下等な、退屈な人生」から救われる、というのは芥川龍之介の名作『蜜柑』である。汽車がトンネルに入るや、娘はあろうことか、四苦八苦の末に車窓を開けてしまう。「私」は怒り、もうもうと流れ込む煙に激しく咳込む――。が、トンネルを出ると、踏切には三人の男の子たちが小鳥のように声を上げて待ちかまえていた。それに応えて小娘は蜜柑を投げる。「心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降ってきた」と、芥川は男の子たちの方へと、読者の視点を移動させて、この感動的場面を巧みに描写する。その瞬間、「私」は、これが奉公に行く娘とそれを送る弟たちの別れなのだという事実を了解して、それまでの底なしの虚無からわずかに救われる、という話である。
さて、青学の蜜柑には、この一条の光のようなまぶしい力はない。むしろ、学生たちでにぎわうキャンパスの片隅で、都会奉公にまごつき途方に暮れているその後の娘の姿のようだ。けれども、木々のすきまから、いつも遠くにチャペルを仰ぎ見ているかのようなその景色もまた、一つの愛おしい風情である。今年は少し時期を早めて観に行ってみよう。
(次回に続く)