Variety いろいろ

青山学院の四季彩-グリーンパーティーへようこそ-番外編:遥かなるメタセコイア

春の訪れとシンボルツリー

都会のオアシスとも言うべき場所、青山学院青山キャンパス。
ここにある木々の知られざる姿が見たい、という食物いや植物への
あくなき好奇心から始まったこの企画――。

寒さ凍てつく空気の中に、どこか緩みが感じられるようになってきた2月。
広報部員・聖はふいに足を止めた。
そういえば、

青山キャンパスには桜が少ない。

もちろん、ないわけではないが、桜が正門の脇にシンボルツリーのような形で植えられてはいない。
つまり「ザ・桜、ここにあり!」というような主張がないのだ。

青山キャンパス正門
青山キャンパス正門


大学の正門をくぐりメインストリートをロータリーまで歩いてくると、もう一つの疑問が浮かんだ。
では、青山キャンパスのシンボルツリーとは?
メインストリートにはイチョウの木が植えられ、ギンナンのゆるキャラまで
あるのだから、“イチョウで良い。”勝手だがそう思う。
しかし中等部はどうなのだろうか? グリーンパーティーのメンバーが多く在籍する中等部のシンボルツリーは一体何か?
疑問に思ったら即行動の聖である。すぐさま中等部緑信会の顧問林謙二先生に連絡を取った。

中等部のシンボルツリーとは?

「逢わせたい人がいます」
林先生の回答は意味深だった。
2月某日、待ち合わせの中等部は、ことのほかあわただしい。
それでも校舎に入ると、穏やかな光が溢れていて、
そんな現実を忘れてしまう。
エントランスに、涼やかな空気と共に背の高い女性が入ってきた。
すぐにピンときた。
林先生が逢わせたい人というのはきっとあの人に違いない。
すると彼女の方も分かったらしく、軽く会釈をするとこちらに向かって歩いてきた。
彼女の名前はえみさん。
中等部の卒業生で林先生のかつての教え子だった。

林先生 お会いになられましたね。それでは、まずは短大の校舎に行きましょう
穏やかな声に振り向くと林先生が近づいてくるところだった。
あれっ、今日は中等部のシンボルツリーを見に行くのでは?
不思議に思っていると、林先生がほほ笑んだ。
林先生 すぐに分かります

ピリッと冷たい空気の中、中等部からの坂を上りきると、短大の校舎が見えてきた。
春が近いこともあり、緑の中庭では紅梅や白梅が色を添え、
短大校舎はいっそ華やかな雰囲気に包まれている。
林先生が大木の前で立ち止まった。

林先生 この木なのです

それは、直立した木だった。
少しの曲がりも、ゆがみもなく、正しく天に立ち向かうようにして立っている。
全ての葉をそぎ落とした姿は、耐え忍んできた冬の寒さを感じさせる。
真率という表現が木に対して相応しいか分からないが、それは正に真率な木だった。

冬のメタセコイア
冬のメタセコイア。さすがに葉が一枚もない


えみさん 懐かしい、これメタセコイアですよね

懐かしい?

林先生 実は以前、中等部にもメタセコイアの木があったんです

あったんですってことは、今は?

えみさん もうありません。私が中等部を卒業する年に……

えみさんは、短大のメタセコイアの木を見つめ、
遠い日を思い出すように語り始めた……。

中等部旧校舎
中等部旧校舎

送別会の日がメタセコイアが切られる日でした。
新校舎への建て替えのため、その日メタセコイアが切られることを全員、予め知っていました。
当日、送別会が始まるまで、みんなでベランダに出て(※旧校舎には教室にベランダがありました)
メタセコイアを見ていました。
作業着を着た人たちが根本で動き始め、ハシゴ車が上がってくるのを目の当たりにすると、「あ~いよいよ切られちゃうんだ」と誰ともなく声が上がりました。
そんな時、送別会のアナウンスがかかり、私たちはみんな送別会の会場に出向きました。
そして送別会から戻ってきたら、景色が変わっていました。メタセコイアの木はもうそこにはありませんでした。

思えばメタセコイアの木は、校舎からもグラウンドからも中等部のどこからでも目に入りました。
特に私のクラス3Eの教室は、真下にメタセコイアの木があり、
休み時間などにはベランダに出てメタセコイアの木を見て、癒されてもいました。
いつでもそこにあって、私たちを、そして中等部を大きく見守ってくれている存在、それは誰もが認める中等部のシンボルツリーでした。

新しい校舎を建て替えるために仕方がないこと、分かっていたこと。とはいえ……
なんともいえない喪失感と悲しさに襲われ、私たちは何も言わずメタセコイアの木があった場所をしばらく見つめていました。

中等部旧校舎。矢印がメタセコイア
在りし日の中等部旧校舎。左から3本目の木がメタセコイア

えみさんがわたしたちを振り返った。
その目は在りし日のメタセコイアを思い出してか、ほんの少しだけ悲しそうに見えた。
すると林先生が明るくほほ笑んだ。

林先生 あれからなんですよ、緑信会がきゅうりを育てるようになったのは

えみさん えっ!?

林先生 緑がないと寂しいって生徒たちが言ってね。きみたちの学年が感じたこと、きちんと後輩たちに受け継がれているってことですよ

えみさん はい

えみさんはとびっきりの笑顔になった。
空には抜けるような青空が広がっている。

あの~話のコシをもむようで何ですが……

林先生 それを言うなら“話の腰を折る”では?

我ながら惜しいっ。ではなくて、中等部のシンボルツリーはその後、切られた後どうなったのでしょうか?

林先生 そうでした。これからもう一つ行く場所があります

林先生はそう言うと、青山学院講堂に向かって歩き始めた。
青山学院講堂――通称:アオコウ
ステージと客席のある、いわゆるホールで、
講演会や演奏会等で使われている。
年季、いや歴史を感じさせる外見と違い、中は華やかさと暖かさで溢れていて、
そのギャップにいつも驚かされる。
今日もそう。
誰もいない寒々しい空気の中、重い扉を開けると、すり鉢状の客席、温かみのある木製のステージが現れた。
まるで別世界の空間にぼーっとしていると、林先生がほらっと言ってステージを指をさした。

えみさん 聞いたことはありましたけど、初めて見ました

えっ 何がですか?

えみさん 十字架です。あの十字架

十字架
十字架


えっ あの十字架が何か?

えみさん あの時、切られたメタセコイアで出来ているんです、あの十字架

えっえっ!!

林先生 中等部の美術科の筒井祥之先生が造られたものです。ちなみにライトアップで浮かび上がります

ライトアップされた十字架
ライトアップされた十字架


えみさん おおっ!

林先生 中等部のシンボルツリーは、あの時なくなってしまったけれど、今もこうして十字架として生きているんですよ

まさに今もシンボルツリーとして生きているんですね。なんだか焼鳥、違った、不死鳥みたい。ではなくて、希望がつながっていくみたいですね。希望をつなぐメタセコイア、文学ではどんな意味があるのでしょう? 笹川渉先生に聞いてみましょう

笹川先生 メタセコイアの木についてですね

希望をもたらす古代の大木―メタセコイア

高さ30メートルにもなる大きな木! メタセコイアは英語でdawn redwoodと呼ばれ、ヒノキ科に属しています。この植物の化石を発見し、「メタセコイア」と命名したのは京都大学の古生物学者三木茂で、白亜紀以降(約1億4,500万年前から)、第四紀前半まで生きていたとされるこの植物を学会に報告したのは1941年のことでした。その後1946年に、中国湖北省で中国人研究者によって生きているメタセコイアが見つかり、1948年にはアメリカ大陸にもたらされます。このように、人類より遥か昔から生き続け、1960年9月19日発行のイギリスの新聞『タイムズ』では「生きた化石」(living fossil)と呼ばれました。

巨木が語る太古のロマン

メタセコイアという名前は、同じヒノキ科のセコイアと「仲間である」(metaはここでは ‘associated with’ という意味)ということから名付けられました。セコイアも白亜紀、つまり恐竜が地上を歩いていた時から現代まで生きている木です。日本でも見ることができますが、アメリカのカリフォルニア州で見られるセコイアはメタセコイアよりもはるかに高い100メートルを超える高さになることもあり、天まで届く巨木は多くの作家を魅了しました。

カリフォルニア州セコイア国立公園©️My Good Images /Shutterstock.com

セコイアの声を聴きながら――新世界への希望

19世紀にアメリカ独自の文学を描き出すことを目指したウォルト・ホイットマンは、「アメリカ杉の歌」(アメリカ杉はセコイアのことです)という詩で、まだ若いアメリカが発展してほしいという願望を述べています。セコイアは切り倒されてしまうのですが、それは「いざここで[人間が]強く優しい巨人に成長し、いざここで大自然と肩を並べて劣らぬ高さにそびえ立つよう」にするためだと言います。暴力的な描写ですが、作者は森の精霊やセコイアの声を聴きながら、壮大な自然が自分たちのためにあってほしいという願いを抱いていたのです。
現代のアメリカ人作家リチャード・プレストンは、地上とは異なる高い所にある樹上の世界に魅了されました。彼の『世界一高い木』は、セコイアの生態を紹介し、著者自身が約115メートルのセコイアの未知の頂上にのぼるお話です。上の二つの例のどちらにも、その大きな木を通じて、新たな世界へと踏み出そうとする人間の姿を見ることができます。

参考文献
ウォルト・ホイットマン『草の葉』酒本雅之訳, 中巻, 岩波書店, 2008年
林弥栄「メタセコイア」,『日本大百科全書』, 2018年6月,
https://japanknowledge-com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp/lib/display/?lid=1001000224430, 閲覧日3月15日.
リチャード・プレストン『世界一高い木』渡会圭子訳 日経BP, 2008年.
Edmund H. Fulling. “Metasequoia—Fossil and Living—.” The Botanical Review, vol. 42, no. 3, 1976, pp. 215–315., doi:10.1007/bf02870145.
“Metasequoia, n.” Oxford English Dictionary Online, December 2001,
https://hawking2.agulin.aoyama.ac.jp:2088/view/Entry/117385?redirectedFrom=metasequoia#eid. Accessed 30 March 2020.

笹川先生 青山学院に佇むメタセコイアの木から、ぜひ大きな希望をもらってください

えみさん ありがとうございます、笹川先生

それでは林先生、メタセコイアの木で締めの一句をお願いいたします

林先生 卒業を届けメタセコイア逝けり  林謙二

卒業式のなんともいえない淋しさとそして、かすかな希望を感じます。季語はメタセコイアですね

林先生 違います、メタセコイアは季語になっていません

我ながら惜しいっ

えみさん 季語は卒業式ではないでしょうか?

林先生 その通り! 傍題として、「卒業生」「卒業歌」「卒業式」も季語です。ちなみに、「卒業生」だと六音になり、やや使いにくさがあるため、五音で「卒業子」という言い方もあります

えみさん 1音のために、言い方を変えるなんて、俳句っておもしろいですね

林先生 そうですね、俳人は俳句を作ることにやや強引なところがあるため、「牡丹(ぼたん)」を「ぼうたん」と読ませたり、「夕立(ゆうだち)」を「ゆだち」と読ませるなど、音数を整えることがあります

知れば知るほど俳句の世界って深いですね! 「グリーンパーティー」も長いので、俳句で使う際は「グリパ」となるのかな、などと考えていたらお腹も空いてきましたので、次の食物、いえ植物に行ってみましょう!!