謎の校章【アオガクタイムトラベラー】
2020/12/09
8月の暑い日、たまたま階段で目礼してすれ違った鵜飼眞常務理事が、私に気づくと急に「ちょっと来てくれる?」と言って、今来た階段を駆け下り、本部棟(ベリーホール)の入口に立ち、指さした。
「この校章、変だよね」
“どこだろう?”
「ほら、上のところに縦線みたいなものが何本か入ってるよね」
“本当だ。校章を勝手に改変している。知財が怒りそうだなあ。”
「大学の1号館の校章、見たことある?」
“まさかそこも?”
早歩きで1号館へ。
鵜飼常務の声はでかい。存在感が大きい。そして安心感を覚えさせてくれる存在だ。
余談だが、鵜飼家は代々、青山学院との関わりが深い。
父・鵜飼勇氏は青山学院の理事・評議員を務め、青山学院は勇氏に名誉理事の称号を贈呈している。
祖父・鵜飼猛氏は、ジュリアス・ソーパー(青山学院の源流のひとつ「耕教学舎」の創立者)が1875年に設立した現在の銀座教会(当時・築地美以教会)の3代目の牧師を務めている。銀座教会の初代牧師は小方仙之助で、小方は青山学院の第3代院長と理事長を務めており、青山学院と深い関わりのある教会である。猛氏は19歳で渡米し、サンフランシスコで米山梅吉(青山学院緑岡小学校創立者)らと過ごしている。
また、母方の曾祖母は、なんと、ドーラ・E・スクーンメーカーが設立した青山学院の源流のひとつ「女子小学校」の最初の生徒7名のうちのお一人である。
ほかにも多数のトピックがあり、1冊の本が書けてしまうほど、青山学院とのご縁が深い。
大きな余談でした。
おっと、本線に戻ろう。
「これも同じで、変でしょ」
“本当だ”
「反対側の2号館も見て。これまた同じで、変でしょ」
“本当だ”
「面白いでしょ。アオガクタイムトラベラーの出動だね」
ははーっ! 出動いたします!
何から手をつけたらいいのだろう?
答えは見つかるのだろうか?
ここから、想像もしていなかった、4カ月という長きにわたる苦闘がはじまった。
まずは、青山学院の校章について調べてみた。
1940年7月発行の「青山学報」166号に掲載された『徽章の由来』という記事には、おおむね次のことが書かれていた。
その後、1987年に、各学校の盾のバランスを統一し、校章基本原型を定めた。
舟橋先生は、1893年青山学院の前身である東京英和学校高等普通学部を卒業後、アメリカのアルビオン大学に学んだ、と記録されている。1904年の秋から、青山学院と青山女学院で英語、英文学を教授された。
留学先のアルビオン大学には盾の形の校章があり、そこで校章の知識を得られた可能性がある。
校章ってなんだろう?
広辞苑によると、
校章 … 学校の記章
記章 … 職務・身分または名誉を表すために、衣服・帽子・提灯などにつけるしるし
と書かれていた。
あるデザイン関連のサイトには、学校を象徴するためにデザインされたシンボルマークであり、主にキリスト教系の学校では欧米の紋章をイメージしたデザインが多いのが特徴である旨が記されていた。
しかし、ここで気になる単語が出てきた。
「紋章」
紋章ってなんだろう?
日本における紋章学研究の第一人者である森護氏の『ヨーロッパの紋章-紋章学入門-』によると、
と定義づけられている。
その初期の目的は「戦闘中の識別」であり、敵味方がわかること、また個人の武勲の証明に使われていたものと思われる。
騎士が盾を片手に、槍を持つ。その盾には紋章が描かれている。そんな姿が浮かび上がってくる。
国によっても異なり、紋章制度を設け、紋章官なる職業もあり、現在でもロンドンに本拠を置く紋章院という機関が存在する。
全ヨーロッパで150万以上の紋章が存在すると筆者は語っている。
ちなみに、「シャーロック・ホームズ」の著者アーサー・コナン・ドイルは、幼少期に母親から徹底した紋章教育を受け、紋章学の専門家に近い知識を持っていたと伝えられているそうだ。
11世紀から12世紀にかけてのヨーロッパに起源を持つとされる紋章。日本で言う家紋にあたるのだろうか。ただし、日本が「家」を中心としているのに対し、ヨーロッパでは「個人」が中心であり、親子でも同じ紋章を使うことは許されない、という。さらには、国、都市、教会、法人などの機関にも発展している。
青山学院の校章が「紋章学に基づいて作られた」とするならば、次のように当てはめられそうだ。
図中「K」の“スイス型”に相当か
図中「A)Chevron」に相当か
ここまで見てくると、舟橋先生が紋章学に適確に則り、校章をデザインされたのでは、と思われるほどだ。
紋章には、分割やその線、分割した部分のそれぞれ異なる役割、色使い、動物、盾の周りを飾る「クレスト」「サポーター」など、同じものが一つとしてないと言われる「個」を表すためのアイテムは多岐にわたり、デザインに法則があるのだ。
日本にヨーロッパの紋章が本格的に伝わったのは明治時代。その奥の深さを知らずに、デザインだけを模倣した紋章がいろいろと作られた。ゆえに日本に存在する紋章の多くは、西洋式の紋章とは違う、似て非なる日本独特のデザインであると森護氏は語る。
紋章学のルールに基づきデザインされた優れた日本国内の紋章の例として、大阪港の紋章が紹介されていた。
紋章学は奥が深く、このまま調べていくと研究論文が書けてしまいそうで、これ以上は深入りしないことにしておこう。
はたして青山学院の校章は、紋章学に則って作られたものなのか?
しかし、このことに関して全く資料が見つからないため、推量するしかない状況なのだ。
舟橋先生は、留学先のアメリカのアルビオン大学で盾の形の校章に触れ、そして校章制定(1906年)の直前には、アメリカとヨーロッパを視察し、1904年に帰国した旨の記述があり、同地にて紋章学についてなんらかの影響や知識を得て、校章をデザインしたとも考えられる。
もしくは、舟橋先生が独自で考えられたのかもしれない。
この謎の校章が据えられている、大学1号館、2号館、そして本部棟(ベリーホール)が建てられた時のことを調べてみた。
「黄色の世界 ギンナン吟遊」【アオガクタイムトラベラー】でもご紹介したが、関東大震災の復興事業で建てられた建物たちだ。
校章制定から20年。
紋章学に則った校章をデザインした、ということを前提に考え、これら三つの建物に掲げる校章をデザインする際にも舟橋先生が関わっているとしたら、フィールドにペイリーをつけたのかもしれない。
図中「D)Paly」をさらに多数に分割したものか
「上部だけをPalyにして、図Dよりももっと分割したもの」と言えるかもしれない。
しかし、わざわざ違う紋章にするのだろうか。
関東大震災で生まれ変わった青山学院を示すために、紋章をヴァージョンアップしたのだろうか?
でも、その後には使われていないようだし……。
舟橋先生についてさらに調べていくと、なんと、舟橋先生は、その後1911年に東京商科大学(現・一橋大学)の教授に就任、1927年には同志社大学の教授となり、東京に戻ってきたのは1943年だと記録されていた。1923年の関東大震災の時も、その後の復興の時も、舟橋先生は青山学院にいらっしゃらず、建物の設計やデザインに関わったとは考えにくいのだ。
別の糸口を探す必要が出てきた。
「青山学報」28号(1924年11月15日発行)の「復興建築 余聞」には、建築中の1号館と2号館について、次のように書かれていた。
もしかして、この「チューダー式」に関わりがあるのでは。
チューダー式ってなんだろう。
『日本大百科全書』によると、
と書かれていた。
著作権上、ここにその具体例としての画像を出せないので恐縮だが、下記のリンク先をご覧いただければと思う。
St George’s Chapel, Windsor Castleウェブサイトへ
King’s College Cambridgeウェブサイト「KING’S COLLEGE CHAPEL」ページへ
うーん。
玄関のアーチの作りは確かにチューダー式のようだが、校章の上部縦線の装飾部分とはあまり関係が無さそうだ。
それでは、設計者が意匠したのでは、と考えた。
調べてみると、当時を代表するような建築家たちが、大学1・2号館、ベリーホールの建築に関わっていたことがわかった。
設計者
大学1・2号館 … アントニン・レーモンド
しかし最後までではなく、清水組(現・清水建設株式会社)が手を入れている
アントニン・レーモンドは、1919年に帝国ホテル設計施工の助手として来日。1922年に独立して事務所を開設。聖路加国際病院の設計や、東京女子大学のキャンパス計画を作成。モダニズム建築の作品を多く残し、日本人建築家に大きな影響を与えたと言われる建築家である。青山キャンパス内の建物配置将来構想立案をレーモンド氏に決定した旨の記録が残っていた(MINUTES of the Executive Committee of the Aoyama Gakuin Zaidan 1903-1924)。
ところが、理由は不明だが、途中でレーモンド氏に代わり、施工を請け負った清水組が設計担当となっている。
ここで、長野宇平治氏という名前が出てくるが、この方もまた当時著名な建築家であり、日本銀行本店(現・日本銀行本店旧館)や東京駅を建築した辰野金吾氏の弟子であり、日本銀行本店本館(現・日本銀行本店旧館〈本館〉)などの銀行建築を残した建築家である。
実は、関東大震災で被災した勝田館(勝田ホール)は、辰野金吾氏が設計したものであり、その関係で長野氏が登場した可能性が窺われる。
どこまでが相談の範囲であったかは不明だが、いずれにしても、大物建築家が関わっていたことが判明した。
設計者
ベリーホール … J.H.ヴォーゲルと清水組
J.H.ヴォーゲルが、当時のアーサー.D.ベリー神学部長あてに送った神学部校舎(ベリーホール)の設計図面について説明する手紙(1929年1月17日付)が残されている。
J.H.ヴォーゲルは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの弟子である。
ヴォーリズは、24歳でキリスト教の伝道のために来日。宣教とは別に、建築家として勇名を馳せた。ヴォーリズ事務所が設計を手掛けた建築物は1600を超えると言われており、教会、学校、病院、住宅など多岐にわたり、なかでも神戸女学院の校舎12棟すべてが「国の重要文化財」に指定されるなど、今でも数多くの作品が日本に残っている。
ヴォーリズは青山学院の当時の神学部寄宿舎やプラット記念講堂を手がけたが、残念ながら現存していない。
もう一人、重要な人物が登場する。
大学1・2号館、ベリーホールともに設計に携わっている清水組社長、清水釘吉氏。
清水釘吉氏は、1867生まれ。慶應義塾から青山学院の前身である東京英和学校に学び、後に東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築学科を卒業。1915年に清水組(現・清水建設株式会社)の第5代社長に就任。
清水氏は関東大震災後の東京都の復興に数多く携わり、
「かかる際に儲け仕事をしてはならない。世の中のために尽くさねばならぬ。これが我等の責任である」と、朝礼の訓示で繰り返したと記録されている。
今、青山学院が育もうとしている“サーバント・リーダー”の元祖とも言える方だ。
ベリーホールの横に位置する間島記念館(1930年)の建築の際には、清水組が設計・施工に携わり、工事の途中で学院の資金が不足したところ、清水釘吉氏が寄付(25000円)してくださり、無事、工事を終えることができた。落成式では、石坂院長が清水組に対し「不断の犠牲的労苦に対して、深く感謝する」旨をあいさつで述べており、『青山学院九十年史』にも清水釘吉氏のご貢献が刻まれている。
ここに登場した人物たち、辰野金吾、長野宇平治、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、J.H.ヴォーゲル、清水組をキーワードに、諸氏が関わった建物を検索し、または書籍にあたり確認するも、手掛かりがまったく掴めず…(しかし、多くの素敵な建物に出会えた旅でした)。
また、当時の「青山学報」や別資料の教師・生徒の文章を読んでも、校章の中の装飾についての記述がまったく無く、お手上げ状態。
なんとなく、三つの建物の設計にあたった清水組がカギを握っているように思われたものの、清水建設株式会社建築営業部の副部長さんにお伺いしたところ、「施工主さんの意向がないかぎり、施工会社が勝手に意匠することはないですね」とのご回答だった。
タイムマシンでもない限り、これ以上はもう無理だ!
一つの答えを出して終わりにしよう!
推論:「関東大震災後、地震被害から復興し、これからも青山学院はちから強く永続するのだ、という意味を込めて、学院関係者が、青山学院を支える柱のようなちから強さを表現するためにデザインした。」
これだ。
きっと間違いない。
ここで、タイムトラベラー隊は燃料切れのため、解散です。
校章制定の歴史に触れ、関東大震災後の復興や、あまたの建築家たちとの関わりが分かりました。鵜飼常務、これで許していただけますか?
最後に一つだけ余話を。
1号館と2号館の縦線の数はどちらも、13本。
(ちなみにベリーホールは9本)
13かあ。もしかして……。
※初めての旅「13号館が無い! 不吉な数字だから?」もよろしかったらご覧ください。
関東大震災という未曽有の危機を乗り越えることができたように、新型コロナウイルスに打ち勝ち、未来を切り拓いていく大学の若者たちが再びキャンパスで学ぶことができますように祈りを込めて。
〈参考文献〉
・MINUTES of the Executive Committee of the Aoyama Gakuin Zaidan 1903-1924
・『日本キリスト教歴史大事典』教文館 1988
・『ヨーロッパの紋章-紋章学入門-』森護著 河出書房新社 1996
・『西洋紋章夜話』森護著 大修館書店 1988
・『西洋紋章パヴィリオン』印南博之著 東京美術 1992
・『紋章が語るヨーロッパ史』浜本隆志著 白水社 1998
・『日本大百科全書』小学館 1984-94
・『清水建設二百年(生産編)』清水建設株式会社 非売品 2003
・『清水建設二百年(作品編)』清水建設株式会社 非売品 2003
・「青山学報」49号(復刊前 1926年12月23日発行)
・「青山学報」166号(復刊前 1940年7月発行)
・「青山学報」154号(1991年7月発行)
・「青山学報」237号(2011年10月発行)
・「青山学報」249号(2014年10月発行)
・『青山学院九十年史』学校法人青山学院
・『青山学院120年』学校法人青山学院
・『青山学院100年 1874-1974』学校法人青山学院
ほか
〈ご協力〉
・清水建設株式会社 様
・大阪港湾局 様
・河出書房新社 様
・青山学院資料センター
・鵜飼眞常務理事