クリスマス in ロンドン【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第25回】
2023/12/07
アドベント(待降節)を迎えて、青山学院では、イエス・キリストの降誕を待ち望むという趣旨で、クリスマス・ツリーの点火祭が催されます。
ロンドンの中心部にあるトラファルガー・スクエアでも、歳末になると、広場の一角に大きなクリスマス・ツリーが飾られます。
このもみの木、じつはノルウェーのオスロ市から寄贈されたものです。例年12月初旬に点灯式を行い、その後は夜ごとに聖歌隊が讃美歌を歌い、この季節のロンドンの風物詩の一つになっています。
1940年にナチス・ドイツがノルウェーに侵攻を開始し、ノルウェーは抗戦むなしく占領されてしまいました。ノルウェー国王ホーコン七世は閣僚とともにイギリスへ脱出、ロンドンに亡命政府を樹立します。国王はロンドンからナチスに対する抵抗運動の指揮をとり、ノルウェー国民の士気を鼓舞したといいます。
こうした第2次世界大戦時の経緯から、1947年以来、イギリスの支援と友情に対する感謝を示し、平和への祈りをこめて、クリスマス・ツリーが贈られることになったのです。
この広場の名前は、トラファルガーの海戦(1805年)の勝利を記念した国民的な事業に由来します。広場の中央には地上51メートルの円柱がそびえたち、その頂上では、戦闘のさなかに銃弾を受けて戦死したネルソン提督の像が、海の方角を向いて、あたりを睥睨(へいげい)しています。
毎年、越年の際には様々な行事が行われて、ものすごい数の人が集まり、カオスの様相を呈します。正直なところ、大みそかにはあまり近寄りたくない場所です。この広場の南端にある大通りストランドとチャリング・クロス・ロードの交差点は、ロンドンとイギリス各地を結ぶ距離を測る里程標の起点となっています。東京でいえば日本橋に当たる感じですね。
トラファルガー・スクエアの北側に面している巨大な建物が、世界屈指の絵画コレクションを誇る美術館ナショナル・ギャラリーです。
13世紀のイタリア・ルネサンス期から20世紀へといたるヨーロッパ絵画の歴史をたどることができます。収蔵品の中でも、特にルーベンスやレンブラントといったオランダ・フランドルの絵画、ゲインズバラやコンスタブルなどのイギリス絵画で有名です。銀行家J・J・アンガースタインのコレクション38点を政府が買い上げる形で1824年に発足し、はじめは彼の自邸で公開されていたのが、1830年代になって、誰でも鑑賞できるようにとの配慮から、現在の場所に移転しました。
ナショナル・ギャラリーに向かって右側の道路セント・マーティンズ・レーンを回り込むと、世界的にも珍しい肖像画だけに特化した美術館ナショナル・ポートレート・ギャラリーがあります。
政治、経済、思想、芸術などあらゆる分野のイギリスの有名人の肖像が展示されています。ヘンリー八世のようなチューダー朝の国王から、ファッションデザイナーのポール・スミスや映画「ハリー・ポッター」シリーズの出演俳優たちまで、居並ぶ肖像の表情や衣装を眺めているだけで、悠久の歴史の波に洗われる気分に浸れます。
クリスマス・ツリーを毎年買ってきて、飾りつけをするのは、イギリス人の生活に欠かせない一コマです。小説家ディケンズが1850年に書いた短編小説「クリスマス・ツリー」を読むと、イギリス人がクリスマス・ツリーへ寄せてきた偏愛ぶりをのぞかせて、微笑ましく感じられます。
昨今はクリスマスというと、ヨーロッパのキリスト教国であっても、ややもすれば本来の宗教的な意味合いが忘れられて、年末大セールといった商業的な側面ばかりが目立ちます。とはいえ、ツリーを飾る何げないひと時に、平和の大切さをしみじみ感じ入る人も多いこの頃でしょう。
この時節のイギリスは午後3時過ぎに日が暮れるうえ、寒さも身にしみますが、芝居を観に行くもよし、遊園地に出かけるもよし、娯楽にはこと欠きません。観劇であれば、まずはパントマイム(おとぎ芝居)に指を折ります。これは歌と笑いにあふれた、家族みんなで楽しめるミュージカルのこと。『シンデレラ』や『ピーター・パン』のような親しみやすい演目ぞろいです。ロンドンのみならず、どこの地方都市でも必ず上演されています。
また、期間限定で移動遊園地がイギリス各地に開設されるのも楽しみです。ここロンドンではハイド・パークの広大な敷地で、2007年以来の恒例行事となったハイド・パーク・ウィンター・ワンダーランドが一押しです。わずか数週間の催しですが、観覧車やメリーゴーラウンドなどのアトラクション、サーカス、スケートリンク、ライブショーなど、盛りだくさんです。
忘れられないのはクリスマス・マーケット。中世以来、ヨーロッパ各地の民衆に根づいたお祭りのことです。町や村の中心にある広場や通りには、きれいな装飾や派手なイルミネーションがほどこされて人々を惹きつけてやみません。お店や屋台ではその土地に伝わる伝統的なお菓子や飲み物がふるまわれます。その代表として、ロンドンの演劇街の中心部にあるコヴェント・ガーデン・マーケットをあげておきます。
それでは雑踏を通り抜けて、テムズ川南岸へとロンドン・ブリッジを渡ってみましょうか。
橋を渡った先に見えてくるのがサザック地区のバラ・マーケットです。イギリスで一番有名な食料品専門のマーケットです。ここは一年中オープンしていますが、特にこの時期には一大観光地と化します。食品市場は、日本の築地や豊洲が海外でも名高いように、その国に固有の食文化を身近に体験できるので、注目度が高いのでしょう。クリスマスの気分を味わうには、バラ・マーケットにも足を運んでみる価値ありです。
クリスマスは社交のシーズン。友人宅のクリスマス・パーティに招かれると、赤ワインを大きな鍋で長いこと温めているため、スパイスを仕込んだ強烈な香りが家中に充満しているのが常です。この香りに包まれるだけで、クリスマス気分が盛り上がること必定です。その香りの正体がマルドワイン(mulled wine)。クリスマスの思い出とは切っても切れない味覚です。
マルドワインとは一口に言って、ワインにオレンジ、レモン、リンゴなどの果物を足して、シナモンやクローブ、ジンジャーなどクセの強い香辛料を混ぜこみ、砂糖や蜂蜜で甘みを加えて温めたワインのことです。ネイティヴが発音すると、私の耳には「モードワイン」と聞こえます。
そうそう、イギリスのマルドワインといえば、普通は赤ワインを使っていますね。白ワインや他のリキュールを使うレシピもオーケーなのだそうで、ぶどうジュースを使えばノンアルコール飲料が作れます。クリスマスの定番にして、なんと奥の深いこと!
日本では和製英語のホットワインという用語が一般的に通用しているようです。世界各地に同様の温かいアルコール飲料があります。代々受けつがれたレシピはそれぞれに異なると思われますが、ドイツにはグリューヴァイン(glühwein)、スウェーデンにはグロッグ(glogg)、フランスにはヴァンショー(vin chaud)という飲み物があります。これらの呼び名自体、今では日本でもすっかりおなじみになりましたね。
以前、イギリスに留学した教え子から、マルドワインのスパイスをティーバッグ様の袋に包んだプレゼントをもらったことがあります。まるまるボトル1本分のワインにこのバッグを投入して、沸かすだけで、いとも簡単に自家製マルドワインの出来上がり。この種のマルドワイン用スパイスのバッグも、今では日本でも簡単に手に入るようになりました。
マルドワインは温めてあるせいでアルコール分はかなり飛んでいますが、お酒の苦手な人は抵抗を覚えるかもしれません。機会があれば、まあ、縁起ものだと思って、ちょっとだけ召し上がってみてはいかがですか(笑)。子どもの時、風邪をひくと飲まされたたまご酒に似て、薬用酒の効果があるのでしょう、身体も心もポカポカに温まりますよ。
[Photo:佐久間 康夫、本屋敷 佳那、本屋敷 匠真]
ロンドンで研修中の学生さんより佐久間先生の元に素敵なお写真が届きましたので、ご紹介いたします!(アオガクプラス編集部)