青山学院の四季彩-グリーンパーティーへようこそ-番外編:遥かなるメタセコイア
2021/03/09
都会のオアシスとも言うべき場所、青山学院青山キャンパス。
ここにある木々の知られざる姿が見たい、という食物いや植物への
あくなき好奇心から始まったこの企画――。
寒さ凍てつく空気の中に、どこか緩みが感じられるようになってきた2月。
広報部員・聖はふいに足を止めた。
そういえば、
青山キャンパスには桜が少ない。
もちろん、ないわけではないが、桜が正門の脇にシンボルツリーのような形で植えられてはいない。
つまり「ザ・桜、ここにあり!」というような主張がないのだ。
大学の正門をくぐりメインストリートをロータリーまで歩いてくると、もう一つの疑問が浮かんだ。
では、青山キャンパスのシンボルツリーとは?
メインストリートにはイチョウの木が植えられ、ギンナンのゆるキャラまで
あるのだから、“イチョウで良い。”勝手だがそう思う。
しかし中等部はどうなのだろうか? グリーンパーティーのメンバーが多く在籍する中等部のシンボルツリーは一体何か?
疑問に思ったら即行動の聖である。すぐさま中等部緑信会の顧問林謙二先生に連絡を取った。
「逢わせたい人がいます」
林先生の回答は意味深だった。
2月某日、待ち合わせの中等部は、ことのほかあわただしい。
それでも校舎に入ると、穏やかな光が溢れていて、
そんな現実を忘れてしまう。
エントランスに、涼やかな空気と共に背の高い女性が入ってきた。
すぐにピンときた。
林先生が逢わせたい人というのはきっとあの人に違いない。
すると彼女の方も分かったらしく、軽く会釈をするとこちらに向かって歩いてきた。
彼女の名前はえみさん。
中等部の卒業生で林先生のかつての教え子だった。
ピリッと冷たい空気の中、中等部からの坂を上りきると、短大の校舎が見えてきた。
春が近いこともあり、緑の中庭では紅梅や白梅が色を添え、
短大校舎はいっそ華やかな雰囲気に包まれている。
林先生が大木の前で立ち止まった。
えみさんは、短大のメタセコイアの木を見つめ、
遠い日を思い出すように語り始めた……。
送別会の日がメタセコイアが切られる日でした。
新校舎への建て替えのため、その日メタセコイアが切られることを全員、予め知っていました。
当日、送別会が始まるまで、みんなでベランダに出て(※旧校舎には教室にベランダがありました)
メタセコイアを見ていました。
作業着を着た人たちが根本で動き始め、ハシゴ車が上がってくるのを目の当たりにすると、「あ~いよいよ切られちゃうんだ」と誰ともなく声が上がりました。
そんな時、送別会のアナウンスがかかり、私たちはみんな送別会の会場に出向きました。
そして送別会から戻ってきたら、景色が変わっていました。メタセコイアの木はもうそこにはありませんでした。
思えばメタセコイアの木は、校舎からもグラウンドからも中等部のどこからでも目に入りました。
特に私のクラス3Eの教室は、真下にメタセコイアの木があり、
休み時間などにはベランダに出てメタセコイアの木を見て、癒されてもいました。
いつでもそこにあって、私たちを、そして中等部を大きく見守ってくれている存在、それは誰もが認める中等部のシンボルツリーでした。
新しい校舎を建て替えるために仕方がないこと、分かっていたこと。とはいえ……
なんともいえない喪失感と悲しさに襲われ、私たちは何も言わずメタセコイアの木があった場所をしばらく見つめていました。
えみさんがわたしたちを振り返った。
その目は在りし日のメタセコイアを思い出してか、ほんの少しだけ悲しそうに見えた。
すると林先生が明るくほほ笑んだ。
えみさんはとびっきりの笑顔になった。
空には抜けるような青空が広がっている。
林先生はそう言うと、青山学院講堂に向かって歩き始めた。
青山学院講堂――通称:アオコウ
ステージと客席のある、いわゆるホールで、
講演会や演奏会等で使われている。
年季、いや歴史を感じさせる外見と違い、中は華やかさと暖かさで溢れていて、
そのギャップにいつも驚かされる。
今日もそう。
誰もいない寒々しい空気の中、重い扉を開けると、すり鉢状の客席、温かみのある木製のステージが現れた。
まるで別世界の空間にぼーっとしていると、林先生がほらっと言ってステージを指をさした。
高さ30メートルにもなる大きな木! メタセコイアは英語でdawn redwoodと呼ばれ、ヒノキ科に属しています。この植物の化石を発見し、「メタセコイア」と命名したのは京都大学の古生物学者三木茂で、白亜紀以降(約1億4,500万年前から)、第四紀前半まで生きていたとされるこの植物を学会に報告したのは1941年のことでした。その後1946年に、中国湖北省で中国人研究者によって生きているメタセコイアが見つかり、1948年にはアメリカ大陸にもたらされます。このように、人類より遥か昔から生き続け、1960年9月19日発行のイギリスの新聞『タイムズ』では「生きた化石」(living fossil)と呼ばれました。
メタセコイアという名前は、同じヒノキ科のセコイアと「仲間である」(metaはここでは ‘associated with’ という意味)ということから名付けられました。セコイアも白亜紀、つまり恐竜が地上を歩いていた時から現代まで生きている木です。日本でも見ることができますが、アメリカのカリフォルニア州で見られるセコイアはメタセコイアよりもはるかに高い100メートルを超える高さになることもあり、天まで届く巨木は多くの作家を魅了しました。
19世紀にアメリカ独自の文学を描き出すことを目指したウォルト・ホイットマンは、「アメリカ杉の歌」(アメリカ杉はセコイアのことです)という詩で、まだ若いアメリカが発展してほしいという願望を述べています。セコイアは切り倒されてしまうのですが、それは「いざここで[人間が]強く優しい巨人に成長し、いざここで大自然と肩を並べて劣らぬ高さにそびえ立つよう」にするためだと言います。暴力的な描写ですが、作者は森の精霊やセコイアの声を聴きながら、壮大な自然が自分たちのためにあってほしいという願いを抱いていたのです。
現代のアメリカ人作家リチャード・プレストンは、地上とは異なる高い所にある樹上の世界に魅了されました。彼の『世界一高い木』は、セコイアの生態を紹介し、著者自身が約115メートルのセコイアの未知の頂上にのぼるお話です。上の二つの例のどちらにも、その大きな木を通じて、新たな世界へと踏み出そうとする人間の姿を見ることができます。
参考文献
ウォルト・ホイットマン『草の葉』酒本雅之訳, 中巻, 岩波書店, 2008年
林弥栄「メタセコイア」,『日本大百科全書』, 2018年6月,
https://japanknowledge-com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp/lib/display/?lid=1001000224430, 閲覧日3月15日.
リチャード・プレストン『世界一高い木』渡会圭子訳 日経BP, 2008年.
Edmund H. Fulling. “Metasequoia—Fossil and Living—.” The Botanical Review, vol. 42, no. 3, 1976, pp. 215–315., doi:10.1007/bf02870145.
“Metasequoia, n.” Oxford English Dictionary Online, December 2001,
https://hawking2.agulin.aoyama.ac.jp:2088/view/Entry/117385?redirectedFrom=metasequoia#eid. Accessed 30 March 2020.